

名山・渓谷・遊歩道(めいざん・けいこく・ゆうほどう)
旧羽州街道小坂峠道跡(きゅううしゅうかいどうこさかとうげみちあと)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
国見町(くにみまち)カテゴリー:
名山・渓谷・遊歩道(めいざん・けいこく・ゆうほどう)
紹介説明(しょうかいせつめい)
奥州街道(おうしゅうかいどう)の桑折宿(こおりじゅく)から分かれてのびる羽州街道は、奥羽山脈(おううさんみゃく)をこえて出羽国(でわのくに)に通じていました。この街道(かいどう)の難所(なんしょ)とされた小坂峠道は、つづら折りの急な山坂を越える苦しみをお産の苦しみにたとえて「産坂(さんざか)」ともいわれました。天正(てんしょう)7(1579)年には三春城主(みはるじょうしゅ)田村清顕(たむらきよあき)の娘、愛姫(めごひめ)が産坂をこえて米沢城の伊達政宗(だてまさむね)のもとに輿入れ(こしいれ)しました。
さらに近世(きんせい)には、出羽諸国大名(でわしょこくだいみょう)の参勤交代(さんきんこうたい)の道として使われました。大名の旅は駕籠(かご)を使いましたが、小坂峠から上戸沢宿の間は、佐竹・酒井氏など位の高い大名でも駕籠からおり、徒歩か馬に乗ってけわしい産坂を行き来していました。
また、この街道(かいどう)は物流(ぶつりゅう)の道でもあり、幕領(ばくりょう)・屋代郷(やしろのごう)【現在の山形県高畠(たかはた)町あたり】の御城米(ごじょうまい・おしろまい)を阿武隈川(あぶくまがわ)の徳江川岸へと運んでいました。さらに幕末期(ばくまつき)には、関東などから出羽三山詣(でわさんざんもうで)、出羽国(でわのくに)からは伊勢参り(いせまいり)など、産坂道は行き交う旅人でにぎわっていました。
慶応(けいおう)2(1866)年に新しい道が開通。戦後には自動車道が開通し、旧峠道は街道としての役目を終えました。
平成19年度に地元の人たちが町と協力して旧道産坂の木道階段(もくどうかいだん)を整備しました。それまで歩くのが大変だった旧道産坂は、木道階段の整備により歩きやすくなり、慶応の新道とあわせて小坂峠をめぐる遊歩道として、多くの人に親しまれる歴史の道となっています。
資料・他(しりょう・ほか)
『国見町史』第4巻『歴史の道・羽州街道』(福島県発行)
『ふるさとの文化財21』広報くにみ掲載
詳しく調べるために(くわしくしらべるために)
<詳しい情報の入手先>・国見町教育委員会 生涯学習課
<現地までの交通案内>
・JR東北本線「藤田駅」下車 徒歩40分
その他(そのほか)
- 町指定史跡(平成5年10月1日指定)
関連ホームページ(かんれんホームページ)

- 御瀧神社の涌水(おたきじんじゃのゆうすい)
- 瀬戸茂衛門・紋平(せともえもん・もんぺい)
- 義経の腰掛松(よしつねのこしかけまつ)
- 旧羽州街道小坂峠道跡(きゅううしゅうかいどうこさかとうげみちあと)
- 内谷春日神社太々神楽(うちやかすがじんじゃだいだいかぐら)
- 深山神社の大カヤ・大フジ(しんざんじんじゃのおおかや・おおふじ)
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