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天然記念物(てんねんきねんぶつ)

義経の腰掛松(よしつねのこしかけまつ)

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    県北地域(けんぽくちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    国見町(くにみまち)
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    天然記念物(てんねんきねんぶつ)

紹介説明(しょうかいせつめい)

 このマツの木は、国見町の代表的な史跡(しせき)として昔から多くの人々に知られています。伝えによるマツの名前の由来(ゆらい)は、1159年の平治の乱(へいじのらん)に敗れた源義朝(みなもとのよしとも)の子である牛若丸(うしわかまる)【源義経(みなもとのよしつね)】が、平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)をたよっての東下り(あづまくだり)したとき、この地で休んだところ敷物(しきもの)がなかったので、近くにあった若松を曲げて腰掛(こしか)けたといわれていますが、定(さだ)かではありません。初代のマツは高さ約4mの3本の太い幹から四方に張り出す枝ぶりが、笠(かさ)を伏せた形によくにていることから『笠松』ともいわれました。
 文政4(1821)年、修験者(しゅげんじゃ)がこのマツに巣を作ったハチを退治(たいじ)するためにたき火をしたところ、火が松に燃えうつり、枯(か)らしてしまいました。村人たちはこれを惜(お)しんで、現福島市上名倉の医師から、形がよくにたアカマツの木をゆずり受け、移し植えられたのが現在の二代目のマツで、樹齢(じゅれい)は約200年になります。
 焼けのこった松の根と幹は、義経神社(よしつねじんじゃ)に保存されています。

資料・他(しりょう・ほか)

『国見町史』第4巻
『郷土の研究』第6号
『ふるさとの文化財3義経の腰掛松』広報くにみ第132号掲載

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<詳しい情報の入手先>
・国見町教育委員会 生涯学習課

<現地までの交通案内>
・JR東北本線「藤田駅」下車 徒歩30分

その他(そのほか)

  • 町指定天然記念物(昭和49年3月1日指定)

関連ホームページ(かんれんホームページ)

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