

福祉・慈善事業(ふくし・じぜんじぎょう)
新島(山本)八重(にいじま(やまもと)やえ)
地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
会津若松市(あいづわかまつし)カテゴリー:
福祉・慈善事業(ふくし・じぜんじぎょう)生没年:
1845~1932時代:
江戸時代(えどじだい)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
江戸、明治、大正、昭和と移り変わった激動(げきどう)の時代を、会津武士の魂(たましい)とキリスト教の精神でたくましく生きぬいた、時代をリードしたハンサムウーマンであった。
会津藩砲術師範(あいづはんほうじゅつしはん)の家に生まれ、父と兄(覚馬)の影響(えいきょう)を受け、武芸(ぶげい)に興味をもち、洋式砲術を身に付けた。戊辰戦争(ぼしんせんそう)時には、鶴ヶ城(つるがじょう)で籠城戦(ろうじょうせん)にのぞみ、スペンサー銃(じゅう)を手にして奮戦(ふんせん)した。
戊辰戦争後は、兄をたより京都に行き、そこで兄と交流のあった新島襄(にいじまじょう)と知り合い、キリスト教の洗礼(せんれい)を受けて結婚(けっこん)。キリスト教の布教(ふきょう)に努めるとともに、子女(しじょ)の教育にも力を注いだ。襄の死後は社会奉仕(しゃかいほうし)に情熱を注ぎ、二度、勲章(くんしょう)を授与(じゅよ)された。
【八重の生き方を象徴(しょうちょう)した言葉】
「美徳以為飾」(美徳を以て飾と為す)
She is a person who does handsome.
資料・他(しりょう・ほか)
『会津若松市史』『山本覚馬・山本八重兄妹の生涯』
主な業績(おもなぎょうせき)
新島襄(にいじまじょう)とともに同志社大学(どうししゃだいがく)の創設(そうせつ)に力をつくした。日清・日露戦争(にっしん・にちろせんそう)では、日本赤十字社の正社員になり篤志看護婦(とくしかんごふ)として参加した。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
女性の社会的地位の向上関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
鶴ヶ城山本覚馬・山本八重生家跡
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
会津若松市立図書館現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
JR磐越西線会津若松駅より徒歩20分最寄りのバス停「神明通り」下車 徒歩5分
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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