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文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)

荒木源次郎(あらきげんじろう)

  • 地域(ちいき)

    会津地域(あいづちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    会津若松市(あいづわかまつし)
  • カテゴリー:

    文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
  • 生没年:

    1866~1924
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~大正(たいしょう)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

会津に伝わる歌【会津民謡(あいづみんよう)】を全国に広めようとつとめた山内磐水(やまうちばんすい)【本名は岩記(いわき)】は北会津村の三本松にも住んでいたことがあります。磐水は、会津新聞をつくったことでも知られる人物です。
会津民謡といえば「山内盤水」と言われるほど民謡の名人でした。山内磐水に民謡を教えた先生が、北会津町古麻生(ふるあそう)の荒木源次郎(あらきげんじろう)とその妻のギンです。
 源次郎は、現在の会津若松市門田町で慶応(けいおう)2年6月18日に生まれ、北会津町古麻生の荒木ギンと結婚(けっこん)しました。源次郎は熱心(ねっしん)な性格で、器用(きよう)なことで知られていました。とくに玄如節(げんじょぶし)【民謡】は文句がたいへん良いと言われています。山内磐水は、12、3才のときに源次郎に弟子入りをして、毎日源次郎の家に通っては農作業(のうさぎょう)を手伝いながら歌の練習をしました。

資料・他(しりょう・ほか)

『碧空(あおぞら』機関紙 第4号
『会津高田町史 第7巻 文化各論編III』 会津高田町教育委員会
「レコード(33回転)」 荒木源次郎

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 会津民謡会をつくった人で、当時、顧問(こもん)をつとめました。
  • 山内磐水をはじめとする、多くの弟子たちに玄如節(げんじょぶし)を教えました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

  • 会津民謡が、全国的に広まりました。
  • 平成15年には、全会津地区を対象とした「玄如節顕彰会(げんじょぶしけんしょうかい)」が立ち上げられました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

    副読本(ふくどくほん)

    関連文献(かんれんぶんけん)

      詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

      • 北会津公民館
        電話:0242-58-3111 FAX:0242-58-3947

      現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

      • 源次郎の墓
        JR「会津若松駅」から会津乗合バス会津高田線で約40分、「新在家」停留所下車、徒歩5分

      その他(そのほか)

      教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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