

文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
若松賤子(わかまつしずこ)

地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
会津若松市(あいづわかまつし)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1864~1896時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
会津藩士の子として生まれました。戊辰戦争(ぼしんせんそう)ののち父が行方不明(ゆくえふめい)になり、母を病気(びょうき)でなくし、織物商(おりものしょう)の手代(てだい)の養女(ようじょ)となり、横浜で育ちました。フェリス女学校を卒業し同校の教師(きょうし)となりました。
明治22年、明治女学校教師の巌本善治(いわもとよしはる)と結婚(けっこん)し、文学雑誌(ぶんがくざっし)に創作作品(そうさくさくひん)や翻訳(ほんやく)を発表するようになりました。中でもアメリカのバーネット女史著(じょしちょ)の『小公子(しょうこうし)』の訳(やく)はすぐれており、多くの人に読まれました。
賤子(しずこ)の、日常会話(にちじょうかいわ)を使ったやさしく美しい文体は、日本の文学界に大きな影響(えいきょう)を与えました。
また、日本文化を英文で海外に紹介(しょうかい)し、国際的(こくさいてき)な相互理解(そうごうりかい)につとめました。
資料・他(しりょう・ほか)
『会津人物辞典』『国史大辞典』
『すばらしい先輩たち』
『会津人のほこり(第一集)』
ゆかりの人物
市ホームページ
主な業績(おもなぎょうせき)
- 翻訳文体は言文一致運動(げんぶんいっちうんどう)に貢献しました。
- 海外のキリスト教信者向けのPR誌『日本伝道新報』に英文で日本の風俗(ふうぞく)を紹介し国際的な相互理解に貢献(こうけん)しました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
日本の国際化、現在の文体の主流のもとをつくりました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。