

その他(そのほか)
西郷四郎(さいごうしろう)

地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
会津若松市(あいづわかまつし)カテゴリー:
その他(そのほか)生没年:
1866~1922時代:
江戸時代(えどじだい)~大正(たいしょう)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
小説(しょうせつ)『姿三四郎(すがたさんしろう)』のモデルといわれている人物で、会津藩士(はんし)の子として若松に生まれました。少年時代を新潟県の津川(つかわ)で過ごし、母校である津川小学校の代用教員となりました。明治15年、16歳の時に軍人になると心に決めて上京したものの、願いがかなわず柔道家(じゅうどうか)の弟子となりました。そこで講道館(こうどうかん)柔道の嘉納次郎(かのうじろう)と出会い入門。すぐに頭角(とうかく)をあらわし、講道館四天王(してんのう)の一人に数えられるようになりました。得意技(とくいわざ)は山嵐(やまあらし)だったそうです。その間に会津藩家老(かろう)西郷頼母(さいごうたのも)の養子(ようし)となりました。明治19年の警視庁武術大会(けいしちょうぶじゅつたいかい)で優勝(ゆうしょう)し、講道館柔道の発展(はってん)に貢献(こうけん)しました。その後、講道館をやめ長崎にうつり住み、新開社の編集長(へんしゅうちょう)などをつとめました。また、長崎遊泳(ゆうえい)協会の発起人(ほっきにん)となり、その発展にも貢献しました。
資料・他(しりょう・ほか)
『会津人物辞典』『市副読本 すばらしい先輩』 第二集
『会津人のほこり』
『長崎水泳協会65年誌』 昭和43年
『増補長崎の歴史』 松浦直治 昭和49年
ゆかりの人物
市ホームページ
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
柔道が世界に広まり、オリンピック種目にもなりました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 彼岸獅子(ひがんじし)
- 大山捨松(おおやますてまつ)
- 御薬園(おやくえん)
- 新城新蔵(しんじょうしんぞう)
- 赤井谷地沼野植物群落(あかいやちしょうやしょくぶつぐんらく)
- 山川健次郎(やまかわけんじろう)
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