

その他(そのほか)
山本覚馬(やまもとかくま)
地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
会津若松市(あいづわかまつし)カテゴリー:
その他(そのほか)生没年:
1828~1892時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
会津藩士の子として生まれ、日新館(にっしんかん)で学んだあと江戸に出て蘭学(らんがく)、洋式砲術(ようしきほうじゅつ)を研究し、会津藩の軍備(ぐんび)の近代化(きんだいか)を進めました。藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職(きょうとしゅごしょく)についた時、ともに京都へ行きました。
病気にかかり失明(しつめい)してしまいましたが、京都において日本初の小学校の創設(そうせつ)や産業技術(さんぎょうぎじゅつ)の導入(どうにゅう)を行いました。さらには日本初の博覧会(はくらんかい)「京都博覧会」を開催(かいさい)し、京都の物産(ぶっさん)と観光(かんこう)を国内外にアピールするなど京都の発展(はってん)に力をつくしました。京都府議会議長(ふぎかいぎちょう)や京都商工会議所会頭(かいとう)もつとめました。
また、新島襄(にいじまじょう)と交流があり、共に同志社(どうししゃ)大学を創設し、運営(うんえい)に力をそそぎました。
資料・他(しりょう・ほか)
『会津人物伝』『国史大辞典』
『会津人物辞典』
ゆかりの人物
市ホームページ
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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