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文化財(ぶんかざい)

会津大塚山古墳(あいづおおつかやまこふん)

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    会津若松市(あいづわかまつし)
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紹介説明(しょうかいせつめい)

3世紀後半からはじまったといわれる古墳造り(こふんづくり)。4世紀に入ると東北地方南部でも、巨大(きょだい)な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)【前が方(四角)形で後が円形のお墓(はか)】が造られるようになりました。
 それらは、いまでいう国のような広い地域をおさめた王の墓(はか)であったといいます。各地の王は弥生時代(やよいじだい)からの安定(あんてい)した農業生産力(のうぎょうせいさんりょく)により蓄(たくわ)えた富(とみ)と大きな権力(けんりょく)をもとに人々を支配(しはい)しました。
 そのような強い権力(けんりょく)を持つ王の墓の1つである会津大塚山古墳(あいづおおつかやまこふん)は、会津盆地(ぼんち)を見おろす小高い山の上に築(きず)かれています。4世紀中ごろにこの地域をおさめた王の墓と考えられ、長さ114m、高さ13mの東北地方で4番目の規模(きぼ)をほこります。また、古墳の形や副葬品(ふくそうひん)は畿内(きない)の古墳と共通(きょうつう)する特ちょうがあります。

資料・他(しりょう・ほか)

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<現地までの交通案内>
磐越西線「会津若松駅」よりバス松長団地行「山見町」停留所下車5分

その他(そのほか)

  • 国指定史跡

関連ホームページ(かんれんホームページ)

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