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文化財(ぶんかざい)

若松城跡(わかまつじょうあと)

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    会津若松市(あいづわかまつし)
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紹介説明(しょうかいせつめい)

戦国時代(せんごくじだい)には、現在(げんざい)の若松城跡(わかまつじょうあと)に葦名氏(あしなし)の黒川城(くろかわじょう)がありました。その後、蒲生氏郷(がもう うじさと)が文禄(ぶんろく)元年(1592年)に甲州(こうしゅう)【現在の山梨県】流の縄張(なわはり)【城の築(きず)き方】を用いて城郭(じょうかく)を築(きず)き、7層(そう)の天守(てんしゅ)、櫓(やぐら)を建て、馬出(うまだし)を造(つく)ったと伝えられています。
 また地名(ちめい)を若松(わかまつ)と改め、城(しろ)を若松城(わかまつじょう)と名づけました。慶長(けいちょう)の大きな地震(じしん)(1611年)でかたむき長い間そのままにされていましたが、加藤明成(かとうあきなり)の時代に城の大改修(だいかいしゅう)に取りかかりました。天守を5層に改め、石垣(いしがき)を改修すると同時に新しく築きました。馬出を出丸(でまる)にひろげ、空(から)だった堀(ほり)に水をたたえるなど城を現在のような形にしました。
 天守は戊辰の役(ぼしんのえき)で砲撃(ほうげき)され、明治7年に取りこわされましたが、昭和40年に内部を郷土博物館展示場(きょうどはくぶつかんてんじじょう)として再建(さいけん)されました。

資料・他(しりょう・ほか)

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<現地までの交通案内>
JR磐越西線「会津若松駅」よりまちなか周遊バス「ハイカラさん」で20分、「鶴ヶ城北口」停留所下車徒歩5分

その他(そのほか)

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若松城跡

若松城跡天守閣

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