

教育(きょういく)
山川健次郎(やまかわけんじろう)

地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
会津若松市(あいづわかまつし)カテゴリー:
教育(きょういく)生没年:
1854~1931時代:
江戸時代(えどじだい)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
会津藩(あいづはん)家老職(かろうしょく)の家に生まれ、藩校日新館(はんこうにっしんかん)きっての秀才(しゅうさい)といわれました。戊辰戦争(ぼしんせんそう)の時は年が若かったため、途中(とちゅう)から入った白虎隊(びゃっこたい)を除隊(じょたい)しました。戦後、謹慎中(きんしんちゅう)に脱走(だっそう)し、新潟で漢学、佐渡(さど)・東京で英語と数学を学びました。
明治4年にアメリカにわたり、エール大学で物理学の学位を取得(しゅとく)し日本人初の物理学博士(はかせ)となりました。明治34年東京帝国大学総長(そうちょう)【後に再任(さいにん)】をつとめたのち、九州、京都帝国大学総長、貴族院議員(きぞくいんぎいん)などを経験(けいけん)して、男爵(だんしゃく)となりました。
また、会津の子どもたちの教育のため、会津学校会を設立(せつりつ)し、上京して就学(しゅうがく)する学生のため寮(りょう)をつくるなど人材の育成(いくせい)に力をつくしました。さらに「長州(ちょうしゅう)は勤皇倒幕(きんのうとうばく)【天皇のために幕府をたおすこと】、会津藩は勤皇佐幕(きんのうさばく)【天皇のために幕府をたすけること】」として『京都守護職始末(きょうとしゅごしょくしまつ)』などを編集(へんしゅう)し、会津藩の立場を明らかにしました。
資料・他(しりょう・ほか)
『会津人物伝』『すばらしい先輩たち会津人のほこり(第一集)』
ゆかりの人物
市ホームページ
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
賊軍(ぞくぐん)の汚名回復(おめいかいふく)に貢献(こうけん)するとともにに、国内、世界で活躍する人材育成に大きな影響(えいきょう)をあたえました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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