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伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

親は諸白、子は清水(おやはもろはく、こはしみず)

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    会津地域(あいづちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    会津若松市(あいづわかまつし)
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    伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

紹介説明(しょうかいせつめい)

会津若松市を出て、国道49号線を郡山市のほうへ向かって12kmほど行くと、有名な「強清水(こわしみず)」があります。会津若松市河東町八田字強清水(かわひがしまちはったあざこわしみず)にわき出るこの清水は、今も昔と変わりなくゆたかで、しかも冷たいことが、土地の人々のじまんです。

 昔、この地方で日照り(ひでり)が続いたことがあった。5月から8月までの100日の間、一つぶの雨もふらず、猪苗代湖(いなわしろこ)の水もかれてしまって、湖の底が見えるほどだったと言う。田畑の作物という作物は赤くかれてしまい、まいた種(たね)は芽(め)を出さなかった。
 そのころ、今の会津若松市の北方にある山のふもとに、木こりの父と子が住んでいた。
 父は与曽一(よそいち)、息子(むすこ)は与曽二(よそじ)と言った。父親の与曽一は、それはそれはまじめな働き者(はたらきもの)で、毎日山へ出かけては木を切り、わずかなお金をかせいでいた。それにくらべて、息子の与曽二はなまけ者で、いつも酒を飲み、賭け事(かけごと)に明けくれていた。あげくのはてには、野武士(のぶし)の仲間に入って、追いはぎまでする悪者(わるもの)になってしまった。
 父親の与曽一は、生活にこまらないだけの田畑を作っていたが、雨がふらないので、やはり、米もイモも取れなかった。こんなときのためにと、日ごろから、少しではあるが、食物をたくわえておいたので、死ぬようなことはなかった。
 息子の与曽二は、働くことがきらいで、その上、毎日悪いことばかりしていたから、村の人々は、だれも相手にしてくれず、食べ物も恵(めぐ)んでくれなかった。与曽二は、腹(はら)がへって、やっと生きているようなありさまで、ねてばかりいた。父親は、なまけてばかりいて働こうとしない息子の様子にも、いやな顔一つしないで、毎日山へ行って、せっせと働いていた。そんな父親を見て、息子の与曽二は、
「おれが働かないものだから、あてつけをしているんだろう。」と、自分のぐうたらをたなに上げて、父親の悪口(わるぐち)を言ったり、父親をうらんだりしていた。
 ところが、ある日の夕方、山から帰ってきた父親はいい機嫌(きげん)であった。赤い顔をして、お酒のにおいがしていた。次の日の夕方も、その次の日の夕方も、父親の与曽一はほろ酔(よ)い機嫌であった。息子にはふしぎでならなかった。大飢饉(だいききん)で食べ物もないというのに、毎日のようにお酒を飲んで帰ってくる父親が、きっとどこかに食べ物やお酒をかくしておいて、自分ばかりたらふく食べたり飲んだりしているにちがいないと考えた。
 そこで、息子の与曽二は、父親の後をつけていった。父親がひとりでごちそうを食べているところを見つけて、全部自分のものにしてやろうとしたのである。父親は、一日中せっせと働いた。お日様が西の空にかたむき、カラスが寝(ね)ぐらに帰るころには、父親もまがったせなかに夕日を受けながら、帰り道についた。とある木かげで足を止めた父親は、岩の間からあふれ出る清水を飲んだ。そばの石に腰(こし)をかけて休みながら、何度も飲んだ。すると、すぐにいい機嫌になって、歌さえ口ずさんでいるではないか。息子は、その清水が酒の清水にちがいないと思った。
「しめた、これはいいものを見つけたぞ。おれも毎日ここに来て、たっぷりとごっつぉうになっか。」
 息子はすぐに腹ばいになって、ごくっ、ごくっと、息もつかずに飲んだ。しかし、いくら飲んでも、与曽二にはただの水でしかなかった。首をひねり、何度も飲みなおしてみたが、やっぱり、ただの清水だった。ちっともいい気分にはならなかった。
「おかしいな。親父(おやじ)が飲めばさけになり、おれが飲めば、ただの清水だと言うのは、なんとしてもふしぎなことだわい。」
 急いで帰った息子は、父親にそのことを意地きたなく問いつめてみたが、父親の与曽一は、ただ、ニコニコとしているだけだった。
 その晩、息子の与曽二はゆめを見た。白いへびのかんむりをかぶった神様があらわれて与曽二にこういった。
「父親の与曽一は、毎日一生けんめいに働き、この大飢饉(だいききん)をなんとかして乗り切ろうとしている。そのほうびに、与曽一があの清水を飲むときは、諸白(もろはく)【上等なお酒】の清水にしてやったのだ。それにくらべて、おまえは、正しいことと悪いことのけじめもつかないような生活をしている。これからは、体を清めて、今までの自分のやってきたことを悔(く)いあらためて、神様に仕えるようにしなさい。そうすれば、おまえにもきっといいことがあるだろう。私は、弁財天(べんざいてん)であるぞ…。」
 はっとして、ゆめからさめた息子は、ふとんの上にすわったまま、今までやってきた自分の罪(つみ)のおそろしさに初めて気がついた。そして、昼間の、あの清水のふしぎがやっとわかったような気がした。
 夜が明けはじめたころ、起き出した父親の前に両手をついた息子は、心からわびた。
「おやじどの、今まで、悪いことばっかりやって心配ばっかりかけて、おれは悪いやつだった。これからは、親孝行(おやこうこう)して、一生けんめい働くから、今までのことはどうか勘弁(かんべん)してくんなんしょ。」
 その時、なぜか、与曽二の頭には、白いへびのかんむりをかぶった神様と、あの岩の間からわき出る清水とがうかんだ。
 それからというもの、息子の与曽二は、生まれ変わったように働き出した。父親をとても大切にするようにもなり、村の人々のあいだで評判(ひょうばん)の人間になった。
 やがて、与曽二は、岩清水のそばにお堂を作り、ゆめに出てきた弁財天をまつった。そして、自分はその堂の番人となって、残りの人生を送ったということである。

 ふしぎなこの話と、与曽二の親孝行の話は、次から次へと、村人たちによって語りつがれています。夏祭りのにぎやかな笛の音とともに歌う盆(ぼん)おどりの歌【会津磐梯山(あいづばんだいさん)】の中にも歌われるようになりました。

『エイヤー、恋(こい)の滝沢(たきざわ) 舟石(ふないし)こえて
  親は諸白 エイマタ 子は清水【強清水(こわしみず)】』

資料・他(しりょう・ほか)

『福島の伝説』 福島県国語教育研究会編集

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<直接現地へ行くまでの交通案内>
強清水【会津若松市河東町八田字強清水】
・会津若松市より国道49号線を郡山市方面へ12km

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