

郷土開発(きょうどかいはつ)
半谷清壽(はんがいせいじゅ)

地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
南相馬市(みなみそうまし)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
1858~1932時代:
江戸時代(えどじだい)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
小高町大井に生まれ、金性寺(きんしょうじ)に入門しました。後に現在の福島大学に入学し、卒業後は安達郡の教員をつとめました。小高にもどった後は、農談会(のうだんかい)という会を作り、乾田(かんでん)【乾(かわ)いた田】の普及(ふきゅう)につとめました。また、養蚕業(ようさんぎょう)にも力をつくし、後に相馬織物会社(おりものがいしゃ)を設立(せつりつ)しました。1885年には福島県会議員となりました。1898年に、常磐線開通(じょうばんせんかいつう)、小高駅開業(かいぎょう)、小高銀行設立、いぐさ栽培(さいばい)、相馬ゴザの織(お)り方を考え、その織り方を多くの人に伝えました。農村開発(のうぎょうかいはつ)の新しいモデルとして、富岡町夜の森を開拓(かいたく)し、半谷農場(のうじょう)を経営(けいえい)しました。
1912年には国民党から立候補(りっこうほ)し、衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)を3期つとめました。代表作に『将来之東北(しょうらいのとうほく)』があります。また、相馬野馬追のイベントである「火の祭り」をはじめた人物で、現在でも多くの観光客を楽しませています。
資料・他(しりょう・ほか)
『おだかの人物』『小高町史』
『将来之東北』
主な業績(おもなぎょうせき)
- 1885年福島県会議員となる。
- 1912年衆議院議員第1期【国民党(こくみんとう)】
- 1915年衆議院議員第2期【同士会(どうしかい)】
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
埴谷島尾(はにやしまお)記念文学資料館(浮舟文化会館内)電話:0244-44-3049
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 亀井文夫(かめいふみお)
- 南屋形の田植え踊り(みなみやかたのたうえおどり)
- 大悲山の石仏(たいひざんのせきぶつ)
- 島尾敏雄(しまおとしお)
- 大悲山大蛇物語(たいひざんだいじゃものがたり)
- 旧武山家住宅(きゅうたけやまけじゅうたく)
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