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その他(そのほか)

植松練磨(うえまつとうま)

南相馬市
  • 地域(ちいき)

    相双地域(そうそうちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    南相馬市(みなみそうまし)
  • カテゴリー:

    その他(そのほか)
  • 生没年:

    1883~1948
  • 時代:

    明治(めいじ)~昭和(しょうわ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 1883年相馬郡鹿島町で父琢磨(たくま)と母フミの三男として生まれました。鹿島小学校、安積(あさか)中学校、海軍(かいぐん)兵学校、海軍大学校で学び海軍少将(しょうしょう)になりました。第一次世界大戦では軍艦(ぐんかん)「樫(かし)」の艦長(かんちょう)として地中海(ちちゅうかい)へ出ました。上海事変(しゃんはいじへん)後、上海海軍特別陸戦隊指揮官(とくべつりくせんたいしきかん)に命ぜられ、戦功(せんこう)をあげました。昭和7年には昭和天皇よりお言葉をいただきました。昭和22年には、慶応大学(けいおうだいがく)を中心とした真野古墳群発掘調査団(まのこふんぐんはっくつちょうさだん)などにも参加。1948(昭和23)年、65歳で死去(しきょ)し、遺骨(いこつ)は、豪徳寺(ごうとくじ)【東京都世田谷区(せたがやく)】に葬(ほうむ)られました。業績(ぎょうせき)に対して、「祥冥院天竜蒼海大居子(しょうみょういんてんりゅうそうかいだいこじ)」の院号(いんごう)がおくられています。

資料・他(しりょう・ほか)

『郷土の英雄 植松練磨提督(ていとく)』
 植松練磨氏の縁者・鳶新一郎氏平成15年 私家生本
『日本海軍地中海遠征記』 紀脩一郎
『マルタの碑』 秋月達郎
『相馬市史 6巻』
『鹿島町史』
『奥相植松家の系譜』植松達也

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 日本海軍での功績 植松氏は貴重な鹿島町の遺跡研究のため考古学の権威者(けんいしゃ)であった明治大学の後藤守一博士(ごとうしゅいちはかせ)や慶應大学(けいおうだいがく)文学部史学科の江坂輝彌教授(えさかてるやきょうじゅ)などのおしえを受けながら、すすんで真野古墳群(まのこふんぐん)の発掘調査をしました。
  • 真野古墳群発掘調査団としての功績 古墳の貴重さを最初にとなえた人物です。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

植松練磨伝記

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

    詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

    南相馬市博物館 電話:0244-23-6421

    現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

    その他(そのほか)

    教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

    南相馬市

    植松練磨

    真野古墳群発掘調査団 前から2列目 左から2番目が植松練磨

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