

文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
豊田君仙子(とよたくんせんし)

地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
南相馬市(みなみそうまし)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1894~1972時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
1913年、福島師範学校(しはんがっこう)【現在の福島大学】を卒業した後、先生として活躍(かつやく)しました。29歳という若さで佐倉(さくら)小学校長になり、八沢小学校、金房(かなぶさ)小学校を経て、1941年ふるさとの福浦村(ふくうらむら)の助役(じょやく)となりました。戦後は、小高町教育委員会委員長、文化財保護調査委員(ぶんかざいほごちょうさいいん)としての功績(こうせき)をのこしました。
また、若いころから俳句活動(はいくかつどう)をしており、福島師範学校にいた時には、久米正雄(くめまさお)らとも交友がありました。後に「曲水(きょくすい)」に参加(さんか)し、晩年(ばんねん)は『柚の花(ゆのはな)』をまとめて、多くの門下生(もんかせい)の指導(しどう)にあたりました。
また、福島民報(みんぽう)、福島民友新聞社(みんゆうしんぶんしゃ)などで俳句の選者(せんじゃ)として活躍しました。県下に広くその名は知られており、県内の19か所に句碑(くひ)が立てられています。
資料・他(しりょう・ほか)
『おだかの人物』『小高町史』
『小高史雑記』
『柚の花』
主な業績(おもなぎょうせき)
作曲家・天野秀延(あまのひでのぶ)と浜通り地方の学校の校歌をつくりました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
小高町の俳句文化だけではなく、福島県内の俳句文化の向上に力をつくし、現在も俳句活動がつづいています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
句碑(くひ)副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
埴谷島尾(はにやしまお)記念文学資料館(浮舟文化会館内)電話:0244-44-3049
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 天野秀延(あまのひでのぶ)
- 大穴鍾乳洞(おおあなしょうにゅうどう)
- 小池の獅子舞(こいけのししまい)
- 旧武山家住宅(きゅうたけやまけじゅうたく)
- 杉浦吉副(すぎうらきっぷく)
- 南柚木の神楽舞(みなみゆぬきのかぐらまい)
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