

文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
半谷絹村(はんがいけんそん)

地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
南相馬市(みなみそうまし)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1887~1960時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
本名は半谷清造(はんがいせいぞう)といい、小高町大井で生まれました。俳句活動(はいくかつどう)に積極的(せっきょくてき)で、1924年長谷川零余子(はせがわれいよし)の『枯野(かれの)』に俳句を投稿(とうこう)し、零余子が亡くなった後は、長谷川かな女主宰(しゅさい)の『水明(すいめい)』へ投稿しました。以来、『水明』の発展(はってん)に力を尽くしつづけました。
俳句活動をしている間にも『農村(のうそん)だより』『俳句通信(つうしん)』の発刊(はっかん)をはじめ、大曲駒村(おおまがりくそん)、渡辺水巴(わたなべすいは)などの俳人や作家を多くまねき、文化活動を小高町の中で展開(てんかい)しました。
資料・他(しりょう・ほか)
『おだかの人物』『小高町史』
『農村だより』
『小高史雑記』
主な業績(おもなぎょうせき)
絹村がなくなったあと、小高町教育文化功労賞が与えられました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
小高の俳句文化に大きな影響をあたえたことはもちろんのこと、現在でもその門下の人たちが俳句活動をつづけています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
句碑副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
埴谷島尾(はにやしまお)記念文学資料館(浮舟文化会館内)電話:0244-44-3049
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 浦尻貝塚(うらじりかいづか)
- 南屋形の田植え踊り(みなみやかたのたうえおどり)
- 島尾敏雄(しまおとしお)
- 大穴鍾乳洞(おおあなしょうにゅうどう)
- 半谷絹村(はんがいけんそん)
- 旧武山家住宅(きゅうたけやまけじゅうたく)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。