

文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
萩野耕古(はぎのこうこ)
地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
三島町(みしままち)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1902~1973時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
高知県幡多郡小筑紫村(こうちけんはたぐんこづくしむら)に生まれ、小学生時代に「書」の指導(しどう)を受け、私立高知工業学校入学中に、本格的(ほんかくてき)に書道を学びました。
大正12年(1923年)に中華民国(ちゅうかみんこく)の金州(きんしゅう)に渡航(とこう)、4年近く書の研究を行いました。昭和8年(1933年)、会津に来て、各地に滞在(たいざい)しつつ、揮毫(きごう)や書の指導を行うようになりました。
昭和14年(1939年)またも上京しましたが、昭和20年(1945年)に戦災のため、妻(つま)の実家である宮下村(後の三島町)に疎開(そかい)しました。以後、現三島町に居を構え、会津地方を中心に書の発展(はってん)に貢献(こうけん)しました。
資料・他(しりょう・ほか)
『萩野耕古展』(三島町交流センター図録)主な業績(おもなぎょうせき)
- 会津書道院会頭(かいとう)をつとめ、会津で初めての書道誌『香墨(こうぼく)』を発行して、生徒の指導にあたりました。
- 昭和23年(1948年)に福島県書道芸術連盟(れんめい)を立ち上げました。
- 昭和43年(1968年)に福島県書作家連盟理事長となりました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
- 県内、特に会津地方の近代書道発展に影響(えいきょう)をあたえた人物です。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
『萩野耕古先生を讃えるの碑』(昭和50年建立、三島町大字桑原字荒屋敷)副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 三島町教育委員会
〒969-7511 大沼郡三島町大字宮下字宮下350 電話:0241-48-5599
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)


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