

医学・科学(いがく・かがく)
野口英世(のぐちひでよ)
地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
猪苗代町(いわしろまち)カテゴリー:
医学・科学(いがく・かがく)生没年:
1876~1928時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
野口英世(のぐちひでよ)は1876年猪苗代町に生まれ、清作(せいさく)と名づけられました。1歳半のときにいろりで大ヤケドを負った手の手術(しゅじゅつ)がきっかけとなり、医師(いし)になる決心をしました。
1900年23歳のとき医学研究のため一人でアメリカにわたり、梅毒(ばいどく)スピロヘータの純粋培養(じゅんすいばいよう)に成功(せいこう)しノーベル賞候補(こうほ)などになり、英世の研究は高く評価(ひょうか)されました。
その後、黄熱病(おうねつびょう)の研究のためアフリカへわたりましたが、研究中に亡くなってしまいました。英世の墓(はか)には「人類(じんるい)のため生き 人類のため死す」ときざまれています。
野口英世は平成16年に新しくなった千円札に登場(とうじょう)しました。円は世界でも通用するお金なので、英世の姿(すがた)が描かれたお札は、日本の顔としてこれからも世界に知られることになります。
英世は、日本がほこる科学者ですが、アメリカでの日本人の地位向上にも尽力(じんりょく)した国際人(こくさいじん)です。
趣味(しゅみ)は絵画、釣り、将棋など多種多様(たしゅたよう)でした。
資料・他(しりょう・ほか)
『野口英世』 奥村鶴吉著『野口英世』 G・エクスタイン
『野口英世』 イザベル・R・プレセット著
『野口英世記念館ガイドブック「博士とその生涯」』
『人類のためにフォトドキュメンタリー野口英世』
『日本が生んだ世界の医学者 野口英世』
『写真でつづる野口英世の恩師、地方教育の先駆者 小林栄』
『野口博士とその母』
『野口英世 書簡集I.II.III』
主な業績(おもなぎょうせき)
- 1899年
横浜海港検疫所(よこはまかいこうけんえきじょ)で最初のペスト患者(かんじゃ)を見つけました。 - 1901年
アメリカのナショナル・オブ・サイエンスで蛇毒(じゃどく)研究の結果を発表しました。 - 1911年
梅毒(ばいどく)スピロヘータ純粋培養(じゅんすいばいよう)に成功しました。 - 1914~5年
ノーベル賞候補となりました。 - 1918年
エクアドルで黄熱病病原体(おうねつびょうびょうげんたい)を見つけました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
日本はもとより世界各国に野口英世を記念する病院、研究所、学校、公園、道路などがつくられており、教科書や雑誌にもたくさん紹介されています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 野口英世の生家
1823年野口家の2代目清太郎によってたてられました。 - 野口英世記念館
1939年野口英世を顕彰するために開館されました。 - 長照寺
野口家の菩提寺(ぼだいじ)、英世夫妻の墓、両親の墓などがあります。 - 翁島小学校
英世が通った母校です。 - 猪苗代小学校
英世が通った母校です。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
野口英世記念館現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 野口英世記念館
JR磐越西線「猪苗代駅」下車、車で6分 磐越自動車道「猪苗代・磐梯高原IC」より車で5分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 翁島(おきなじま)
- くるみ大根おろし(くるみだいこんおろし)
- 沼尻軽便鉄道(ぬまじりけいべんてつどう)
- 天鏡閣(てんきょうかく)
- 猪苗代湖のハクチョウ及びその渡来地(いなわしろこのはくちょうおよびそのとらいち)
- 野口英世(のぐちひでよ)
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