伝承昔話(でんしょうむかしばなし)
翁島(おきなじま)
地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
猪苗代町(いわしろまち)カテゴリー:
伝承昔話(でんしょうむかしばなし)
紹介説明(しょうかいせつめい)
“会津磐梯山(あいづばんだいさん)は宝(たから)の山よ、笹(ささ)に小金(こがね)が成り下がる”と歌われる磐梯山(ばんだいさん)の美しいすがたを、朝も夕も鏡(かがみ)のようにうつしている猪苗代湖(いなわしろこ)があります。その西岸の近くに、ぽっかり浮(う)かぶように翁島(おきなじま)はあります。
東西に二町三十間(にちょうさんじゅうけん)【およそ270m】、南北に二町(にちょう)【およそ220m】の広さを持つこの島には、人は住んでいません。国道49号線から100mばかりのところで、浅瀬(あさせ)でつながっていますが、わたるには舟が必要です。様々な木が自然のままに生いしげっている島の中央に、水による事故(じこ)をなくすことをねがってまつられたといわれる、翁明神(おうみょうじん)という小さな祠(ほこら)【神様をまつった小さな社(やしろ)】があります。
村の老人に聞くと、昔、年おいた夫婦(ふうふ)がいて、この島に長く住んでいました。昔は、年おいた人を翁(おきな)といったところからこの島の名前がついたといいます。
この島にまつわる語りつたえはいくつかあって、どれが本当のものかわからないほどです。その中でもっともよく知られているのは、磐梯山の大噴火(ふんか)にまつわる話です。
大同(だいどう)元(806)年に磐梯山が大爆発(ばくはつ)を起こしました。同時に大地震(じしん)が起きて、一夜のうちにあたりの様子が一変してしまいました。猪苗代湖も、その時にできたと語りつがれています。月輪(つきわ)、更級(さらしな)にある二荘五十二か村(にそうごじゅうにかそん)が湖の底にしずんだといわれ、今でも水のすんだ日には、昔の神社の鳥居(とりい)のあとや家の土台のあとが、湖の底に見えることがあると言います。
昔、月輪、更級の二荘五十二か村が、湖の底にしずんで猪苗代湖ができる前のこと。この地のある村に「おきな」という名前の、やさしい娘(むすめ)が住んでいた。この娘は心がやさしいばかりか、はたおりが上手なことで、村中でも評判(ひょうばん)の娘であった。
ある日、一人のたびのお坊(ぼう)さんがここを通りかかった。体はあせとほこりでよごれ、まことにみすぼらしい身なりのお坊さんであった。お坊さんは、村の一軒(いっけん)の家に立ちよった。
「私は遠いところから、長いあいだ歩き続けてきた旅の僧(そう)です。のどがかわいたので、水を一杯(ぱい)飲ませてください。」
そのころ、この地方は、長いあいだ日照り(ひでり)が続き、水が不足していた。その家の人たちは、お坊さんの身なりがまずしそうだったため、大変いやな顔をしながら、
「きたない坊主(ぼうず)だな。このあたりは日照り続きでな、お前さんに飲ませる水などありはしないんだよ。」と、ことわった。
となりの家にも立ちよったが、やはり、水は飲ませてもらえなかった。旅のお坊さんは、すごすごと、つかれた足を引きずるように歩いていった。村はずれにさしかかると、おきなの家があった。旅の坊さんは、おきなの家の、立て付けの悪い戸を開けて、
「米のとぎ水でもいいから、どうか、水を一杯飲ませてください。」と、たのんだ。
まずしい身なりのおきなは、ふちの欠けたおわんに、どこからかきれいな水をくんできて、お坊さんにさし出した。
「そんじゃ、どんなにかつかれたべぇ。このあたりは、日照りが続いたので、いい飲み水はねえげんじょ、おらたちの飲んでいる水でよかったら、どうが、はらいっぺぇのんでくなんしょ。」
そう言って、のこり少ない飲み水を、こころよく旅のお坊さんにさし上げた。
旅のお坊さんは、おわんを両手ではさんで、おがむようにしながらおいしそうに飲んだ。
「人の世で、一番大切なことは、あたたかい思いやりの心です。どんなにまずしくとも、やさしい心を失わないあなたには、必ずいいことがありますよ。」と、言い残すと、おきなが止めるのをことわって、どこへともなくその村を立ちさっていった。
その日から三日目に、磐梯山の大爆発が起こった。月輪荘(つきわのしょう)と更級荘(さらしなしょう)の広々とした村々や田畑が、一夜のうちにしずみ、にわかに水があふれてきたかと思うと、家々はことごとく水の中にしずんでいった。
親をさがして泣きさけぶ子どもたち、子どもの名前をよんでかけ回る親たち、そのさわぎは、さながらこの世の地獄(じごく)のようであった。
旅のお坊さんにいじわるした家々では、家も人も、みな湖の底にしずんでしまったが、ふしぎなことに、村はずれのおきなの住んでいたまずしい家が建っていた土地だけは、水の上に残ったという。そして、おきなが住んでいたところが島になって残ったので、それからは、だれ言うとなく、おきな島(翁島:おきなじま)というようになった。
おきなが水を飲ませてあげた旅のお坊さんは、弘法大師(こうぼうだいし)であったといわれていますが、はっきりしたことはだれにもわかっていません。
資料・他(しりょう・ほか)
『福島の伝説』 福島県国語教育研究会編集詳しく調べるために(くわしくしらべるために)
<現地へ行くまでの交通案内>・磐梯東都バス金の橋方面「長浜」停留所下車
その他(そのほか)
関連ホームページ(かんれんホームページ)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。