文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
額賀 誠(ぬかが まこと)
地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
広野町(ひろのまち)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1900~1964時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
昭和12年、医者がいない村であった「ひろの」に内科医院(ないかいいん)を開きました。亡くなる昭和39年2月まで献身的(けんしんてき)な医療活動(いりょうかつどう)を続け、町内はもとより近くの町村の住民からもとても信望(しんぼう)されていました。また、医療(いりょう)のかたわら作詞家(さくしか)としても活躍(かつやく)しました。童謡(どうよう)『とんぼのめがね』は、額賀誠志(ぬかがせいし)のペンネームで作詞したもので、昭和26年、NHK東京放送(ほうそう)『ラジオこどもの歌』の中で毎日歌われ、全国に広がりました。この詩は、昭和23年頃、医院から片道12kmほどはなれた山間部(さんかんぶ)に往診(おうしん)に行った時、その家の子どもがトンボとたわむれている様子をうたったものです。
また、福島県に重量挙げ(じゅうりょうあげ)を導入(どうにゅう)し、協会の初代会長もつとめました。
資料・他(しりょう・ほか)
主な業績(おもなぎょうせき)
- 作詞
『とんぼのぬがね』『ねんねんころりん』 『たけうまごっこ』『シグナルさん』『入道雲』 『筆(ふで)の花』『虹の橋』『山のお医者さま』 『鼬(いたち)っ子』『田螺(たにし)』 『子馬の鈴(すず)』『お月さんの歌』
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
戦後の混乱(こんらん)した中でも、子どもたちには童謡をとおし明るくそだってもらいたいと作詞活動おこないました。とくに『とんぼのぬがね』は、今でも子どもたちに愛されています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 「とんぼのぬがね」の歌碑
広野町では、平成6年より童謡の里として、広く童謡詩を募集し、「ひろの童謡まつり」をひらいています。1995年童謡の里を記念し歌碑をたてました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
広野町教育委員会現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 「とんぼのめがね」の歌碑
JR常磐線「広野駅」より徒歩
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
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