

伝承昔話(でんしょうむかしばなし)
奥州日の出の松伝説(おうしゅうひのでのまつでんせつ)

地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
広野町(ひろのまち)カテゴリー:
伝承昔話(でんしょうむかしばなし)
紹介説明(しょうかいせつめい)
広野町の海岸に、平成16年まで大きな松の木がありました。昔、この松に美しい五色のへびがからみついたので、不吉(ふきつ)と思い木を切ると、中から赤い血がながれ出ました。人々は「奥州血の出の松(おうしゅうちのでのまつ)」とよびましたが、のちに「奥州日の出の松(おうしゅうひのでのまつ)」とよばれるようになりました。
この松には、明治の小説家(しょうせつか)である森鴎外(もりおうがい)の『山椒大夫(さんしょうだゆう)』で有名な『安寿と厨子王(あんじゅとずしおう)』の物語と関係する伝説(でんせつ)が今日まで言い伝えられています。
その伝説では、岩城(いわき)の殿様(とのさま)の二人の子どもの世話をしていたが、乳母(うば)の竹女(たけじょ)は、悪い船頭(せんどう)さんにだまされて、子どもと別れ別れになってしまいました。竹女は、なげき悲しんだすえにふるさとの海岸にながれ着き、なくなったと言われています。
乳母の竹女は広野で生まれたという話から、物語はくり広げられます。
「奥州日の出の松」は、昭和51年9月1日に広野町指定天然記物(てんねんきねんぶつ)としての指定を受け、保護(ほご)されてきましたが、平成16年7月18日ごろ木がたおれてしまいました。ざんねんながら、根元からたおれ、幹(みき)や枝などがかれてしまい、再生不可能(さいせいふかのう)な状態(じょうたい)です。現在、根のみがのこされ、昔の名ごりをとどめています。
平成16年8月25日に、広野町の天然記念物(てんねんきねんぶつ)の指定はとかれました。
資料・他(しりょう・ほか)
『広野町史【民俗・自然編】第八章伝説』「奥州日の出松伝説」として掲載
詳しく調べるために(くわしくしらべるために)
<直接現地へ行くまでの交通案内>・JR常磐線「広野駅」より徒歩5分
・国道6号線「折木交差点」より高萩地区へ、県道小高・広野線を経由約5分
その他(そのほか)
- 町指定天然記念物【奥州日の出の松】(昭和51年9月1日指定)

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