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文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)

中山義秀(なかやまぎしゅう)

  • 地域(ちいき)

    県南地域(けんなんちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    白河市(しらかわし)
  • カテゴリー:

    文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
  • 生没年:

    1900~1969
  • 時代:

    明治(めいじ)~昭和(しょうわ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 中山義秀(なかやまぎしゅう)は明治33年大信村【現在の白河市大信】に生まれました。
 昭和13年、38歳の時に二人の老人の不思議(ふしぎ)な交流(こうりゅう)を通して、人間の業(ごう)を描いた短編(たんぺん)『厚物咲(あつものざき)』で第7回芥川賞(あくたがわしょう)を受賞(じゅしょう)しました。早稲田大学在学中に横光利一(よこみつりいち)らと創刊(そうかん)した同人誌(どうじんし)に小説(しょうせつ)を発表した16年後のことでした。受賞の3年前には、貧しさの中、病気のため妻が亡くなり、父もまた相次いで亡くなっており、義秀のどん底だった作家人生に光がさしました。
 受賞の次の年に発表した幕末(ばくまつ)から明治維新(めいじいしん)にかけて生きた武士三兄弟を描いた『碑(いしぶみ)』も好評(こうひょう)でした。
 受賞以後は作家としての地位も固まり、昭和33年直木賞(なおきしょう)の選考委員(せんこういいん)となり、昭和39年には『咲庵(しょうあん)』で野間文芸賞(のまぶんげいしょう)を受賞しました。そして、昭和41年に『咲庵』をはじめとする業績(ぎょうせき)により日本芸術院賞(げいじゅついんしょう)を受賞し、次いで芸術院会員に選ばれました。

資料・他(しりょう・ほか)

『中山義秀の生涯』 清原康正著 新人物往来社
『子どものための中山義秀伝』
「中山義秀の映像」

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 昭和13年
    芥川賞を受賞しました。
  • 昭和39年
    野間文芸賞を受賞しました。
  • 昭和41年
    日本芸術院賞を受賞しました。
  • 昭和42年
    日本芸術院に推せんされました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

 平成5年、大信村【現在の白河市大信】のシンボルでもある図書館を併設(へいせつ)した中山義秀記念文学館がつくられました。この時、中山義秀を顕彰(けんしょう)するため中山義秀文学賞がもうけられ、文化の発展に貢献しました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

  • 『碑』の文学碑
    昭和37年、長沼町が長沼城跡に建立
  • 記念碑
    昭和46年、大信村【現在の白河市大信】が出生地に建立
  • 文学碑
    昭和46年、成田公園に建立
  • 文学碑
    裏磐梯高原(うらばんだいこうげん)ホテル敷地(しきち)内に建立
  • 文学碑
    二本松市霞ヶ城(かすみがじょう)付近に建立
  • 文学碑
    平成13年安積高校桑野会(くわのかい)が郡山文学の森内に建立

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

  • 中山義秀記念文学館
    電話:0248-46-3614 住所:白河市大信町屋字沢田25番地

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

  • 中山義秀記念文学館 (白河市役所大信庁舎)
    JR「白河駅」より福島交通バス今坂(いまさか)行き「白河市役所大信庁舎前」停留所下車、徒歩1分

その他(そのほか)

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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