

教育(きょういく)
佐藤玄孝(さとうげんこう)

地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
喜多方市(きたかたし)カテゴリー:
教育(きょういく)生没年:
1823~1900時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
佐藤玄孝(さとうげんこう)は、文政(ぶんせい)6 (1823) 年4月15日、旧山都町上林の医師佐藤玄珉の長男として生まれました。玄孝は二十歳のときに江戸に出て、漢方医(かんぽうい)・儒学(じゅがく)・医学を学び、村に帰ってからは父の医業をつぎました。
明治10年頃には、三春の河野広中(こうのひろなか)と親交(しんこう)を結び、国会開設請願書(こっかいかいせつせいがんしょ)にも名を記してしています。家業(かぎょう)のかたわら「私塾 靜思塾(しじゅく せいしじゅく)」を自宅に開き、耶麻(やま)西部の農民や自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)の活動家(かつどうか)に大きな影響(えいきょう)を与えました。また、明治22年の町村制の施行(せこう)では、山都・木幡(こはた)・小川・山郷組合初代村長に選ばれるなど、村の発展(はってん)に力をつくしました。
資料・他(しりょう・ほか)
『山都町史』 第2巻 通史編II主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 佐藤玄孝先生の碑
大正9年 私塾の門人が建立
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
喜多方市教育委員会現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- つの巻き笹団子(つのまきささだんご)
- 新宮熊野神社長床(しんぐうくまのじんじゃながとこ)
- 銅鉢(どうばち)
- 杓子ケ入メグスリノキ(しゃくしがいりめぐすりのき)
- 前田耕作(まえだこうさく)
- 会津大念仏摂取講[中ノ目念仏踊り](あいづだいねんぶつせっしゅこう[なかのめねんぶつおどり])
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