

教育(きょういく)
佐久間庸軒(さくまようけん)
地域(ちいき):
県中地域(けんちゅうちいき)市町村(しちょうそん):
田村市(たむらし)カテゴリー:
教育(きょういく)生没年:
1819~1896時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
江戸時代後期から明治時代にかけ活やくした和算(わさん)【日本独自(どくじ)の数学】学者で、幼い(おさない)頃から父の影響(えいきょう)を受け算学を勉強し、17歳で『当用算法(とうようさんぽう)』という本を書きました。江戸時代末期には、三春藩の藩校(はんこう)【学校】『明徳堂(めいとくどう)』で先生をしていました。
明治時代に入り県の職員(しょくいん)となって測量(そくりょう)を行っていましたが、自分だけが国のために働く(はたらく)より、算学を教えて多くの人が国のためになるよう、生まれた石森【現在の田村市船引町】にもどり、塾(じゅく)を開き、農民を中心に2,000人の弟子に教えました。
資料・他(しりょう・ほか)
『船引の歴史と文化財』『船引町の和算』
『船引町史通史編I』
『ふるさと船引の歴史と文化財』
『佐久間庸軒の旅日記』
主な業績(おもなぎょうせき)
- 三春藩藩校「明徳堂」で算学をおしえました。
- 庸軒塾(ようけんじゅく)をひらき、農民や町民に算学測量(さんがくそくりょう)を教えました。
- 日本各地をあるき算学をひろめ、最上流和算をつくりあげました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
- 弟子の中から安積疎水(あさかそすい)を作るための測量に従事した人々がいます。
- 農民や町民を中心に教えたため、向学心を持つようになりました。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
佐久間庸軒書斎副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
・田村市教育委員会 生涯学習課 電話:0247-81-1215・佐久間庸軒和算保存会
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
佐久間庸軒書斎福島交通バス 大段田和行き「石森」停留所下車 約15分
磐越道「船引三春IC」から車で約10分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
田村市教育委員会 生涯学習課 電話:0247-81-1215学校教育課 電話:0247-81-1214

- 県立自然公園 大滝根山(けんりつしぜんこうえん おおたきねやま)
- 入水鍾乳洞(いりみずしょうにゅうどう)
- 諏訪神社のあかぎと六郷清水(すわじんじゃのあかぎとろくごうしみず)
- 大雷神社の枝垂桜(おおいかずちじんじゃのしだれざくら)
- 行司ヶ滝(ぎょうじがたき)
- 大鏑矢神社夫婦獅子舞(おおかぶらやじんじゃめおとししまい)
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