文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
古関裕而(こせきゆうじ)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
福島市(ふくしまし)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1909~1989時代:
明治(めいじ)~平成(へいせい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
幼いころから音楽に親しみ、福島県立商業学校に通っていた時に誰からも教わらず一人で作曲をはじめ、福島ハーモニカ・ソサイティーに入りました。
昭和5(1930)年、コロンビア専属(せんぞく)作曲家として上京。次の年に最初のレコード『福島行進曲(こうしんきょく)』『福島夜曲(やきょく)』を発売しました。昭和10(1935)年には『船頭可愛や(せんどうかわいや)』が初ヒットし、以後、戦前(せんぜん)から戦後(せんご)にわたり日本を代表する作曲家として活躍(かつやく)しました。昭和54(1979)年、福島名誉市民(めいよしみん)となりました。
資料・他(しりょう・ほか)
『古関裕而自伝「鐘よ鳴り響(ひび)け」』 主婦の友社『福島市史 第5巻(近世II)』
『福島市史 別巻VII「福島の文化」』
主な業績(おもなぎょうせき)
- 代表曲
『鐘の鳴る丘』 NHK連続ラジオドラマ 『オリンピック・マーチ「君の名は」』 東京五輪行進曲 『栄冠は君に輝く』 全国高等学校野球選手権大会歌 『長崎の夜』 『イヨマンテの夜』 『高原列車は行く』 『さくらんぼ大将』 その他、校歌、社歌など約5,000曲
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
戦前から戦後にわたり多くの作曲を手がけました。とくに戦後は音楽をとおして社会復興(ふっこう)に明るい希望をあたえました。また、日本を代表する作曲家として、福島市の知名度を全国に広めました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 古関裕而記念館
福島市名誉市民である古関裕而氏の功績(こうせき)をたたえ、昭和63(1988)年、福島市が建設しました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 古関裕而記念館
住所:福島市入江町1-1
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 古関裕而記念館
福島交通バス「日赤病院前」停留所下車、徒歩3分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
- 宮畑遺跡(みやはたいせき)
- 古河善兵衛(ふるかわぜんべい)
- 鈴木俊夫(すずきとしお)
- 和台遺跡(わだいいせき)
- 男沼と水芭蕉(おぬまとみずばしょう)
- 花見山の色とりどりの花木(はなみやまのいろとりどりのかぼく)
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