文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
龍 禅子(りゅう ぜんし)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
福島市(ふくしまし)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1876~1947時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
龍禅子(りゅうぜんし)は福島県の生んだ偉大(いだい)な書家であり、禅僧(ぜんそう)でもあります。
明治9年、旧伊達郡飯野町に生まれました。名を張堂寂俊(ちょうどう)、号を龍禅子または大龍(だいりゅう)といいます。明治31年、須賀川の妙林寺(みょうりんじ)の住職(じゅうしょく)となり、のち比叡山(ひえいざん)に入り入木道正統(じゅぼくどうぜいとう)四十六世を受け継ぎました。入木道とは東漢(とうかん)の学者・蔡邕(さいよう)の霊地(れいち)で、仙人より伝えられた書法が始まりだといいます。
大正14年に日本龍禅会を創設(そうせつ)し、真筆道本源(しんぴつどうほんげん)の普及(ふきゅう)につとめました。真筆道本源とは宮本武蔵(みやもとむさし)の剣が心法(しんぽう)【心のあり方】であったように、筆道(ひつどう)の形で心法を伝えようとするところにあります。
彼は「心を水の如(ごと)くせよ。心を無心(むしん)に岬(みさき)を去る雲の如くせよ。然(しか)らば書は自(みずか)ら自在(じざい)なり」といいました。水のように、雲のように、欲をすて、理屈(りくつ)をやめ、無心になる事ができれば、これが人間修行(しゅぎょう)の基本になるものであり、それが書に向かう第一歩(だいいっぽ)という意味です。
資料・他(しりょう・ほか)
『ふくしま人物誌』『龍禅子の本』福島大学教授 藤本竹亨著 福島県立図書館蔵
『福島県史 第20巻』
(書)「龍禅子揮妄毫條幅」 二幅
主な業績(おもなぎょうせき)
大正4年に「真筆道本源」をとなえ、真筆道本源禅一致(しんぴつどうほんげんぜんいっち)という、和漢かつてない筆道の妙をきわめ、東京に「大日本龍禅会(りゅうぜんかい)」をつくりました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
龍禅子は淡路(あわじ)、神戸、姫路(ひめじ)、大阪をはじめ、九州、北海道、朝鮮半島まで足をはこび、中国や日本の能筆家(のうひつか)を育てました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
○龍禅子誕生の地の碑(ひ)功績を後世に伝えるために、飯野ライオンズクラブが昭和57年10月吉日にたてました。
・碑文(ひぶん)
心筆道本源入木道四十六世
書聖竜禅子誕生之地
・碑の概要(がいよう)
高さ175cm 幅37cm 奥行き29cm
○中尊寺金色堂の標柱
龍禅子が標柱の文字を書きました。
・岩手県平泉 金色堂
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
飯野町史編纂(へんさん)室現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
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