その他(そのほか)
月船禅慧(げっせんぜんね)
地域(ちいき):
県中地域(けんちゅうちいき)市町村(しちょうそん):
小野町(おのまち)カテゴリー:
その他(そのほか)生没年:
1702~1781時代:
江戸時代(えどじだい)~江戸時代(えどじだい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
月船禅慧(げっせんぜんね)は江戸時代中期に小野町で生まれ、子どものころに三春町高乾院(こうけんいん)で僧(そう)としての修行(しゅぎょう)をしました。その後、高乾院住職(じゅうしょく)をつとめたあと横浜市の東輝庵(とうきあん)にうつり、多くの弟子を育て上げました。月船の弟子たちは、日本各地の臨済宗寺院(りんざいしゅうじいん)で人々に教えを広めました。月船の死後(しご)、光格天皇(こうかくてんのう)は生前の業績(ぎょうせき)と人徳(じんとく)に対し、月船に「本格浄妙禅師(ほんかくじょうみょうぜんし)」の禅師号(ぜんしごう)を与えました。
資料・他(しりょう・ほか)
『近世禅林僧宝伝(ぜんりんそうぼうでん)』1890年 思文閣発行
『新小野町郷土史』 1999年 ヨークベニマル刊
『小野の名僧月船と物先』
『新版 禅学大辞典』 1978年 大修館書店発行
『三春高乾院』 1992年 三春町発行
(三春町歴史民俗資料館図録)
『武渓集(ぶけいしゅう)』 天明3(1783)年発行
(月船の偈頌集)
主な業績(おもなぎょうせき)
- 高乾院 第21世となりました。
- 鎌倉・円覚寺の復興(ふっこう)を助けました。
- 臨済宗僧侶の育成につとめました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
月船は弟子をそだてることに力をそそぎ、多くの高僧をそだてあげました。円覚寺中興(えんかくじちゅうこう)の祖といわれる誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)、近世禅画(きんせいぜんが)の臣匠(きょしょう)・仙涯義梵(せんがいぎぼん)、相馬藩(そうまはん)の教学に貢献(こうけん)した物先海旭(もっせんかいき)【小野町出身】など、全国各地で活躍しています。なかでも峨山慈棹(がさんじとう)は月船の教えを受けた後に白隠慧鶴(はくいんえかく)のもとに出向き、現在の臨済宗の基礎をきずきあげました。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 光格天皇御宸翰
(ごしんかん)
光格天皇からの禅師号【証書】を授与。 享和(きょうわ)2(1802)年 三春町・高乾院蔵 - 石碑(せきひ)
月船筆「十字街頭馬藺花」の石碑 小野町本町地内
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 小野町ふるさと文化の館
- 三春町高乾院
- 三春町福聚寺(ふくじゅじ)
- 横浜市宝林寺(ほうりんじ)
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
- こまちダム(こまちだむ)
- 矢大臣山(やだいじんやま)
- 緑とのふれあいの森公園(みどりとの ふれあいのもり こうえん)
- 夏井千本桜(なついせんぼんざくら)
- 諏訪神社の翁杉 媼杉(すわじんじゃの じじすぎ ばばすぎ)
- 小野の獅子舞(おののししまい)
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