その他(そのほか)
熊田嘉善(くまだかぜん)
地域(ちいき):
県中地域(けんちゅうちいき)市町村(しちょうそん):
田村市(たむらし)カテゴリー:
その他(そのほか)生没年:
1817~1887時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
熊田嘉善(くまだかぜん)は、文化14年(1817年)都路村(みやこじむら)【現在の田村市都路町】の渡辺家の6番目の子として生まれました。三春藩の医者をしていた熊田家の養子(ようし)となり家職をつぎました。
漢学や医学を学んだのち江戸に出て西洋医学を学び、さらに長崎で蘭学(らんがく)【オランダ語で西洋の学術・文化を研究すること】を身につけて三春藩にもどり、藩医として地方でははじめて種痘(しゅとう)の治療(ちりょう)をしました。
その後、兵学(へいがく)を学びながら巨大な大砲のつくりかたを研究し、招かれた水戸藩で鉄を溶(と)かし大砲をつくる技術を成功(せいこう)させています。また慶応4年(1868年)の戊辰戦争(ぼしんせんそう)のときは、三春藩が戦火(せんか)からまぬがれるきっかけを作ったといわれています。
廃藩(はいはん)後は、明治5年(1872年)設立の養才義塾(ようさいぎじゅく)教授をつとめ、学制発布(はっぷ)により三春小学校長、田村中学校教師に任ぜられるなど教育活動(きょういくかつどう)にたずさわりました。
資料・他(しりょう・ほか)
『都路村史』主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
三春町歴史民族資料館 電話:0247-62-5263田村市教育委員会 生涯学習課 電話:0247-81-1215
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
田村市教育委員会 生涯学習課 電話:0247-81-1215学校教育課 電話:0247-81-1214
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