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その他(そのほか)

櫛田民蔵(くしだたみぞう)

いわき市
  • 地域(ちいき)

    いわき地域(いわきちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    いわき市(いわきし)
  • カテゴリー:

    その他(そのほか)
  • 生没年:

    1885~1934
  • 時代:

    明治(めいじ)~昭和(しょうわ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 櫛田民蔵(くしだたみぞう)は、1885年、現在のいわき市小川町に農家の長男として生まれました。しかし家業(かぎょう)は継(つ)がず、学問の道を選びました。東京外国語学校(がいこくごがっこう)でドイツ語を習ったりしながら、1912年に京都帝国大学を卒業しました。
 恩師(おんし)河上肇(かわかみはじめ)のすすめもあり経済学(けいざいがく)研究(けんきゅう)の道に入り、東京帝国大学大学院に学びながら経済学についての論文(ろんぶん)を書きました。新聞記者(しんぶんきしゃ)や同志社(どうししゃ)大学法学部長などをつとめた後、大原社会問題研究所の研究生になり、社会主義文献調査(ぶんけんちょうさ)のためドイツに派遣(はけん)されました。
 帰国後(きこくご)、マルクス経済学の研究に熱中(ねっちゅう)し、翻訳(ほんやく)活動にも取り組みました。数々の研究成果を発表し、日本のマルクス経済学の水準向上(すいじゅんこうじょう)に貢献(こうけん)しました。

資料・他(しりょう・ほか)

『いわきの人物誌(上)』 いわき市

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 大学院時代にカーネギー平和財団からの依頼(いらい)で調査した「軍事税及び戦争経済論」が高い評価をえました。
  • 同志社大学法学部長につきますが、学園紛争(がくえんふんそう)を処理して辞任(じにん)しました。
  • 論文「わが国小作料(こさくりょう)の特質について」を発表しました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

  • 日本のマルクス経済学の水準向上に貢献しました。
  • 1935年|残された原稿(げんこう)が友人の手によってまとめられ『櫛田民蔵全集・全5巻』【改造社】がつくられました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

その他(そのほか)

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

いわき市

櫛田民蔵

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