政治(せいじ)
安藤信正(あんどうのぶまさ)
地域(ちいき):
いわき地域(いわきちいき)市町村(しちょうそん):
いわき市(いわきし)カテゴリー:
政治(せいじ)生没年:
1819~1871時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
安藤信正(あんどうのぶまさ)は、江戸時代末期の磐城平藩(いわきたいらはん)をおさめた人物です。借金で苦しかった藩の財政(ざいせい)を節約(せつやく)することで立て直しました。1860年、信正が幕府(ばくふ)の老中(ろうじゅう)になってすぐ3月に、大老(たいろう)井伊直弼(いいなおすけ)が江戸城の桜田門外(さくらだもんがい)で暗殺(あんさつ)されました。そのため幕府は重大な危機(きき)におちいりましたが、信正は老中4人の先頭に立って混乱(こんらん)をおさめました。また、公武合体策(こうぶがったいさく)を進め、将軍家茂(いえもち)と孝明天皇(こうめいてんのう)の妹・和宮(かずのみや)との結婚を実現させました。
1862年、江戸城坂下門外で幕府に反対する者らにおそわれて負傷(ふしょう)し、その後老中職をやめると、追いうちをかけるように、領地(りょうち)の一部を取り上げられ、期限(きげん)のない謹慎(きんしん)を命じられました。やがて謹慎が終わり、1868年の戊辰戦争(ぼしんせんそう)では、地元で西軍をむかえ撃(う)ちましたが、敗れ降伏(こうふく)しました。
資料・他(しりょう・ほか)
『いわきの人物誌(上)』 いわき市『いわき市史第2巻』 いわき市
『安藤信正の時代』 いわき市
主な業績(おもなぎょうせき)
- 1847年
磐城平藩主となり藩政の改革(かいかく)を行いました。 - 1848年
幕府の奏者番(そうしゃばん)となり、その後、寺社奉行(じしゃぶぎょう)、若年寄(わかどしより)をつとめました。 - 1860年
老中となりました。皇女和宮(こうじょかずのみや)の降嫁(こうか)を実現させました。 - 1862年
江戸城坂下門外(えどじょうさかしたもんがい)で水戸浪士(みとろうし)らにおそわれ傷をおいました。その後、老中職を辞任しました。 - 1868年
奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)にくわわり西軍(せいぐん)と戦いましたが、敗れ降伏しました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 銅像
旧磐城平藩士(きゅういわきたいらはんし)等により大正11年に建てられましたが、昭和18年戦争(せんそう)のため撤去(てっきょ)されました。 その後、昭和36年に平の松ヶ岡公園にふたたび建てられました。 - 墓(はか)
以前は東京都の栖岸院(せいがんいん)にありましたが、現在は平古鍛冶町(ふるかじまち)の良善寺(りょうぜんじ)にうつされています。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 銅像(松ヶ岡公園内)
JR常磐線「いわき駅」より西へ徒歩15分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
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