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文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)

天田愚庵(あまだぐあん)

  • 地域(ちいき)

    いわき地域(いわきちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    いわき市(いわきし)
  • カテゴリー:

    文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
  • 生没年:

    1854~1904
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 明治時代の中頃に活躍(かつやく)した歌人(かじん)で、1854年に磐城平(いわきたいら)の藩士(はんし)の子どもとして生まれました。
 1868年におこった戊辰戦争(ぼしんせんそう)で両親(りょうしん)と妹の行方がわからなくなり、家族を探すため全国を旅しました。旅の途中に山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)や清水次郎長(しみずのじろちょう)など多くの人々と出会いました。34歳で禅宗(ぜんしゅう)の僧侶(そうりょ)となり、人間のありのままの心を歌った「万葉調(まんようちょう)」の歌を和歌の世界にふたたび広めました。
 明治時代の代表的(だいひょうてき)な歌人の正岡子規(まさおかしき)は、彼の影響(えいきょう)をうけて「万葉集」をくわしく調べ、和歌をよりよいものにしようとする運動を行ったことでとても有名です。愚庵(ぐあん)は、子規がおこなった文学運動の先がけとしてとても重要(じゅうよう)な人物です。

資料・他(しりょう・ほか)

『いわきの人物誌(上)』 いわき市
『絵でみる天田愚庵の生涯』
天田愚庵没後100周年記念事業実行委員会
『愚庵物語』 天田愚庵没後100周年記念事業実行委員会

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 1878年
    清水次郎長を助けて富士の裾野(すその)を開こんしました。
  • 1884年
    「東海遊侠伝(とうかいゆうきょうでん)」を著しました。
  • 1887年
    京都林丘寺(りんきゅうじ)の滴水禅師(てきすいぜんじ)の得度(とくど)を受けて禅僧(ぜんそう)になりました。
  • 1894年
    「順礼日記」を著しました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

  • 歌人正岡子規による和歌の革新運動に影響をあたえました。
  • 没後、『愚庵遺稿(ぐあんいこう)』(1904年)、『愚庵全集(ぐあんぜんしゅう)』第1巻(1928年)が発行されました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

  • 愚庵邸(ぐあんてい)
    1966年、平の松ヶ岡公園に京都から移築(いちく)しました。

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

    詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

    現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

    • 愚庵邸(松ヶ丘公園内)
      JR常磐線「いわき駅」より西に徒歩15分

    その他(そのほか)

    教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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