

政治(せいじ)
苅宿仲衛(かりやどなかえ)
地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
浪江町(なみえまち)カテゴリー:
政治(せいじ)生没年:
1854~1907時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
苅宿仲衛(かりやどなかえ)は、1854年、苅宿村【現在の浪江町苅宿】の代々神官をつとめる家柄(いえがら)に生まれました。宮城師範学校(みやぎしはんがっこう)で学び卒業すると、しばらく小学校の先生を指導(しどう)する先生として活躍(かつやく)しました。
1880年、教育の世界から政治の世界に入り、民主主義(みんしゅしゅぎ)や自由を求める自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)に加わり全国各地に足をのばして活動しました。この運動は、当時の政府(せいふ)に反対する運動だったため、しばしば弾圧(だんあつ)を受け、福島事件、加波山(かばさん)事件、大阪事件などで警察(けいさつ)に逮捕(たいほ)されましたが、そのいずれの場合も無罪(むざい)として釈放(しゃくほう)されました。いつの場合も、釈放されるとすぐに牢獄(ろうごく)に入っている仲間の家族を救うために熱心(ねっしん)に活動しました。1886年に県会議員(けんかいぎいん)となり、1890年の第1回総選挙(そうせんきょ)に立候補(りっこうほ)【落選】した時期をのぞいて、1898年までずっと自由党の県会議員として自由と人権のためにたたかいました。
資料・他(しりょう・ほか)
『志士苅宿仲衛の生涯-自由民権運動の軌跡-』 松本美笙『福島自由民権家列伝』 高橋哲夫
『浪江町史』
『広野町史』
『原町市史』
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 浪江町教育委員会
事務局郷土文化係
電話:0240-23-5601
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
浪江町教育委員会電話:0240-34-2111

- 佐々木俊一(ささきしゅんいち)
- 苅宿仲衛(かりやどなかえ)
- 大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)
- 相馬昌胤(そうままさたね)
- 大聖寺境内文化財群(だいしょうじけいだいぶんかざいぐん)
- 丈六公園(じょうろくこうえん)
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