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郷土開発(きょうどかいはつ)
唐橋左源次(からはしさげんじ)
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地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
喜多方市(きたかたし)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
1860~1905時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
相川村外三ヵ村(あいかわむらほかさんかそん)組合長だった左源次(さげんじ)は、早い時期から山村地域(さんそんちいき)での山林の必要性(ひつようせい)に気づき、民有林(みんゆうりん)を確保(かくほ)するため自分の財産(ざいさん)を投じて国有林(こくゆうりん)の引きもどし運動をすすめ、地域の山林【民有林】確保(かくほ)に力をつくしました。
左源次は、林制考正祖論(りんせいこうせいそろん)【特定の山林以外の原野は、国の法律(ほうりつ)の決まりからみれば民有林である】を根拠(こんきょ)に運動を進めました。この考え方は、その後の引きもどし運動のささえとなりました。
資料・他(しりょう・ほか)
『山都町史 第2巻 通史編II』主な業績(おもなぎょうせき)
行政訴訟(ぎょうせいそしょう)により、多くの山林を民有林として確保することができました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 唐橋代議士頌徳碑
(だいぎししょうとくひ)
明治44年1月、業績をたたえて建てました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
喜多方市教育委員会現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
![関係記事(かんけいきじ)](/themes/Originals/Utsukushimajiten/img/detail_ti_kanrenkiji.png)
- 杓子ケ入メグスリノキ(しゃくしがいりめぐすりのき)
- 下柴の彼岸獅子(しもしばのひがんじし)
- 勝福寺観音堂(しょうふくじかんのんどう)
- 願成寺木造阿弥陀如来および両脇侍坐像(がんじょうじもくぞうあみだにょらいおよびりょうきょうじざぞう)
- 瓜生岩子(うりういわこ)
- 雄国沼湿原(おぐにぬましつげん)
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