

政治(せいじ)
小山田主鈴(おやまだしゅれい)

地域(ちいき):
県中地域(けんちゅうちいき)市町村(しちょうそん):
天栄村(てんえいむら)カテゴリー:
政治(せいじ)生没年:
1781~1856時代:
江戸時代(えどじだい)~江戸時代(えどじだい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
小山田主鈴(おやまだしゅれい)は、江戸時代後期の1781年に天栄村で生まれました。25歳で、徳川将軍家(とくがわしょうぐんけ)に剣道や戦争(せんそう)の方法を教える家柄(いえがら)の奈良、柳生藩(やぎゅうはん)【1万石】に就職(しゅうしょく)しました。
当時、藩主(はんしゅ)が江戸の屋敷(やしき)に住んでいたことから江戸での出費(しゅっぴ)がふくらみ、現在のお金で数十億円の借金があった赤字財政(あかじざいせい)を、主鈴は持ち前の才能(さいのう)を生かし、当時全国の米が集まる大阪・堂島(どうじま)の米市場に出入りして、大きな利益(りえき)を得て藩の借金を返し、藩でナンバー2の国家老(くにがろう)にまで出世しました。
資料・他(しりょう・ほか)
『柳生の里』 山田熊夫著飛鳥書房発行 平成8年10月20日第4版発行
『小山田家所蔵文書目録』
奈良市史編集室発行 昭和56年12月
『岩瀬郡史』 岩瀬郡役所編纂
大正12年3月初版 昭和62年12月復刻版
主な業績(おもなぎょうせき)
- 1846年
引退するさい、藩へ1000両【現在のお金で約1億円】を献金しました。 - 1845年、
1849年、
1853年
3回にわけて、4000両【約4億円】を藩にかし出しました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
財政(ざいせい)のたて直しにより、柳生藩は健全な財政運営を行うようになり、やがて封建社会(ほうけんしゃかい)のおわりをむかえました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 文書
本人が柳生家に仕えていたころの様子が分かります。 - 屋敷
本人が1838年に藩主よりたまわった土地に建てた屋敷が現存しています。 - 木像
(もくぞう)
本人が還暦(かんれき)【60さい】の時に、有名な京都の仏師(ぶっし)につくらせました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 柳生観光協会
住所:〒630-1237 奈良県奈良市柳生町155-1 電話:(0742)94-0002
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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