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その他(そのほか)

瓜生岩子(うりういわこ)

  • 地域(ちいき)

    会津地域(あいづちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    喜多方市(きたかたし)
  • カテゴリー:

    その他(そのほか)
  • 生没年:

    1829~1897
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 瓜生岩子(うりういわこ)は、1829年に生まれました。33歳のときに夫を亡くし大きなショックを受けましたが、示現寺(じげんじ)の老僧・隆覚(ろうそう・りゅうかく)の言葉で立ち直ったといわれています。それ以後は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)【1869年】のときには敵味方(てきみかた)の区別なく看護(かんご)したり、身よりのない子どもを助けるための施設(しせつ)や無料の病院をつくったり、福祉事業(ふくしじぎょう)に一生をささげました。女性初の藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受け、日本のナイチンゲールとよばれています。

資料・他(しりょう・ほか)

『瓜生岩子伝』瓜生祐次郎著
『ねがいは水あめの詩に(社会福祉に一生をささげた瓜生岩子)』
 わだよしおみ作 PHP研究所
『ぼくたち、わたしたちの、あつしおかのう』 副読本
『大いなる福祉の母 瓜生岩子伝』
 瓜生祐次郎著 瓜生岩子刀自顕彰会

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 1865年
    喜多方にうつり、社会活動に入りました。
  • 1868年
    会津戦争で傷病者の手当てにつくしました。
  • 1873年
    岩月村(いわつきむら)の長福寺(ちょうふくじ)に養育所をひらき、孤児、老人を保護(ほご)しました。その後は、さまざまな社会活動をおこないました。
  • 1886年
    福島にうつり、養育所をひらきました。
  • 1888年
    磐梯山が噴火したため、救護活動(きゅうごかつどう)をおこないました。
  • 1891年
    女性としてはじめて国会参加を願い出ました。
  • 1891年
    東京養育院の児童世話係長となりました。
  • 1892年
    濃尾地震(のうびじしん)の救援活動をおこないました。
  • 1893年
    福島育児院をひらきました。
  • 1894年
    東京の下谷根岸(したやねぎし)にうつり、いも飴(あめ)、飴粕の利用と普及(ふきゅう)をすすめる活動を行いました。 無料診療所の全国設置を企画しました。
  • 1895年
    台湾の救養活動を計画しました。
  • 1896年
    三陸地方の津波災害(つなみさいがい)の救援活動をおこないました。 藍綬褒章(らんじゅほうしょう)をたまわりました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

 一生を人のため、世のためにつくした明治のナイチンゲールとして郷土(きょうど)だけでなく日本全国の医療(いりょう)、社会福祉関連に多大なる影響(えいきょう)をあたえています。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

  • 「瓜生岩子刀自誕生の地」 の標柱(ひょうちゅう)
    昭和27年、喜多方町が建立しました。 【喜多方市佐牟乃(さむの)神社境内】
  • 東京浅草公園の銅像
    明治34(1901)年4月、瓜生慈善会(じぜんかい)により建立されましたが、昭和18年軍部(ぐんぶ)に供出(きょうしゅつ)され【さし出され】ました。 その後、昭和30年6月にふたたび建てられました。 (大熊氏広制作)
  • 福島市 長楽寺(ちょうらくじ) 境内の銅像
    大正14年4月、昭和18年軍部に供出、昭和30年6月にふたたび建てられました。
  • 熱塩加納町 示現寺(じげんじ) 境内の銅像
    昭和7年8月、熱塩加納町顕彰会(けんしょうかい)が建立しました。 (雨宮次郎作)
  • 喜多方市 佐牟乃(さむの)神社 境内の銅像
    昭和31年、喜多方婦人会・耶麻郡婦人連合会が建立しました。
  • 瓜生岩子刀自の資料展示 (蔵の里内)
    喜多方地方広域町村圏(こういきちょうそんけん)組合が、岩子の業績・精神(せいしん)を学ぶために建立しました。

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

    詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

    ・熱塩加納町瓜生岩子刀自顕彰会(けんしょうかい)

    現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

    • 蔵の里
      JR「喜多方駅」より徒歩20分

    その他(そのほか)

    教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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