教育(きょういく)
新井石禅(あらいせきぜん)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
伊達市(だてし)カテゴリー:
教育(きょういく)生没年:
1864~1927時代:
江戸時代(えどじだい)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
1864年12月19日、伊達郡梁川町【現在の伊達市梁川町】の石井家に生まれ、仙次郎(せんじろう)と名付けられました。石井家代々のお墓がある興国寺(こうこくじ)の新井如禅住職(あらいにょぜんじゅうしょく)の養子(ようし)になり、13歳のときに新井石禅(あらいせきぜん)と名前をかえて出家(しゅっけ)しました。
学問の研究のため石川県能登(のと)にある大本山総持寺(そうじじ)で修行(しゅぎょう)し、曹洞宗(そうとうしゅう)専門本校を一番で卒業しました。その後は、僧侶(そうりょ)の生活と学問の研究に明けくれる毎日を過ごしました。
1921年には日本とアメリカの友好と平和を願い、日本の代表としてアメリカをおとずれ、ハーディング大統領(だいとうりょう)と会見しました。帰国(きこく)した後は総持寺の代表をつとめ、女子の教育にも注ぎました。
資料・他(しりょう・ほか)
『新井石禅禅師伝』 辻 淳彦著 興国寺 1979年『梁川町史』第10巻「文化・旧町村沿革」 梁川町 1994年
『新井石禅全集』
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
1924年に光華女学校(こうかじょがっこう)をつくり、女子教育をすすめました。作家岡本かの子も鶴見総持寺(つるみそうじじ)の石禅貫首(せきぜんかんじゅ)に心の救いを求めた一人です。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
新井石禅銅像副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
興国寺(こうこくじ)電話:024-577-0273
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
- 旧梁川亀岡八幡宮並びに別当寺境域(八幡神社)(きゅうやながわかめおかはちまんぐうならびにべっとうじけいいき(はちまんじんじゃ))
- 下手渡藩天平陣屋跡(しもてどはんてんだいらじんやあと)
- 根古屋遺跡(ねごやいせき)
- 北又の獅子舞(きたまたのししまい)
- 小野隆庵(おのりゅうあん)
- つつこ引き祭り(つつこびきまつり)
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