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伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

カッパのわび証文(かっぱのわびしょうもん)

天栄村
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    天栄村(てんえいむら)
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    伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

紹介説明(しょうかいせつめい)

 岩瀬郡天栄村の沖内地内(おきうちちない)に、赤津神社(あかつじんじゃ)というお宮(みや)があります。現在は「赤津(あかつ)」と書きます。以前は「不開(あかず)」と書いていたといわれています。「あかず神社」というのは、「開(あ)かない」「開(あ)けてはいけない」神社という意味だったというのです。

 昔、この地にお城(しろ)があって、馬場八郎左衛門(ばばはちろうざえもん)という殿様(とのさま)がおられた。この城の南側を釈迦堂川(しゃかどうがわ)が流れていて、その川の向こうに、女郎寺(じょろうじ)という寺があった。
 この寺の和尚(おしょう)と馬場(ばば)の殿様は、身分の差(さ)こそあったが、碁(ご)を打つ友達で、ひまを見つけては碁を打つのを楽しみにしていた。ある秋のこと、八郎左衛門は久しぶりに女郎寺で碁を打っていた。つい夢中(むちゅう)になって気づいたときは、もう日がとっぷりとくれてしまっていた。
「小僧(こぞう)でもお供(とも)につけましょうか。」という和尚の言葉にも、気の強い八郎左衛門は耳をかさなかった。
「なあに、目と鼻の先の城までもどるのに、お供をつけられたとあっては、後々までのわらいものになるわ。」と言うなり、かわいがっている馬に一鞭(ひとむち)当てた。
釈迦堂川(しゃかどうがわ)は、ふり続いた雨で、いつもよりはげしい音を立てていた。しかし、昼は何の苦もなくわたった川なので、八郎左衛門は気にとめることもなく、いつもの岸から馬を進めて、川をわたりはじめた。
 川の中ほどまで来たとき、馬は何におどろいたのか、急にヒヒーンといなないたかと思うと、後ろ足で立ち上がった。乗馬(じょうば)のうまい八郎左衛門でさえ、もう少しで馬の上から落ちるところだった。
「これ、どうしたというのじゃ。しずまりなさい。」と懸命(けんめい)に馬をなだめて、どうにかやっと向こう岸にたどり着くことはできたが、馬はますますあばれくるい、八郎左衛門はとうとう馬から落とされてしまった。それでもなお、手綱(たづな)をはなさず馬を取りおさえてよく見ると、馬のしっぽの先に何かぶら下がっている。
「はて、あやしいやつめ。」と、それをつかんで、いきなり地べたにたたきつけた。月明かりにてらしてみると、それは、一匹(いっぴき)のカッパだった。たたきつけられて、一時は気をうしなっていたが、すぐに息をふき返したカッパは、さっさとにげようとした。八郎左衛門は、すばやく刀をぬくと身がまえた。
「おのれカッパめ、それへなおれ。切りすててくれる。」するとカッパは、手を合わせてペコペコ頭を下げた。
「どうか、お助けください。私にも、あなた様と同じように、家には小さい子どもたちや、大ぜいの家来(けらい)がいます。私が今ここでお殿様に切られたら、その者たちは、くらしてゆけなくなります。どうか、命だけはお助けください。」といってなみだを流した。
 八郎左衛門は、「どうやら、こいつはカッパの大将(たいしょう)だな。自分によくにた立場のやつだ。」と、同情(どうじょう)し、ゆるしてやることにした。しかし、この地の農民が、カッパたちのいたずらで、これまで何度も苦しめられてきたことを思うと、このままみすみす見のがしてやるのはなんとしてもしゃくだった八郎左衛門は、ひとつ、こいつをこらしめてやろうと考えた。
「よし、命は助けてつかわそう。そのかわり、これからは、人や馬にいたずらをしないこと、大水を出して田畑をあらさないこと、この二つを約束(やくそく)せよ。」と、きびしい顔で命じた。
「はい、わかりました。約束いたします。」カッパは、地べたにひたいをこすりつけていった。しかし、八郎左衛門はすぐにはゆるさず、
「いいや、口先だけでは当てにならぬ。念(ねん)のため、証文(しょうもん)を書いてもらおう。」そういって、近くにあった平たい石に、約束の証文を書かせた。
「よし、きょうのところは、これでゆるしてやろう。早く帰るがよい。」八郎左衛門は、石の証文と引きかえに、カッパの大将を見のがしてやった。そして、この石証文(いししょうもん)を城に持ち帰り、城内(じょうない)の東の丘にうずめ、周りに杉の木を植えて、水難(すいなん)よけのお守りとした。一方、カッパのほうは、命が助かって気持ちが落ち着いてみると、証文を書かされたことは、なんとしても残念(ざんねん)だった。日がたつにつれて、あの証文を取り返したいと思うようになった。
 春になるのを待っていたカッパの大将は、一族(いちぞく)のカッパどもに集合を命じ、ある晩(ばん)、人々の寝(ね)しずまったころを見はからい、城におしよせた。しずかに、しずかに行動しても、なにしろ、大ぜいのカッパが土をほるのだから物音がたたないわけはない。いち早く目を覚ましたニワトリがコケコッコーとなくと、犬もワンワンほえ立てた。
 このさわぎに、城の侍(さむらい)たちは、
「さては、曲者(くせもの)。」「おのおの方、出あえ、出あえ。」と外へとび出した。しかし、どこをどうさがしても、曲者のすがたは見えず、辺りはしいんとしずまり返っていた。
 次の日の朝、城の内外を見まわった侍から、東の丘の上がひどくあらされていることを知らされた八郎左衛門は、
「さては、カッパめ、証文を取りもどしに来おったな。」とすぐに土をほって調べさせた。さいわい証文は無事(ぶじ)だった。しかし、これでは、いつまたうばい返しにくるかも知れないと、八郎左衛門は、急に心配になってきた。そこでさっそく、大きな石の箱(はこ)を作らせ、その中に石の証文をおさめ、厳重(げんじゅう)にふたをして、今までよりもさらに深くうずめさせた。そして、それでもまだ安心できずに、その上に神社を建て、「不開神社(あかずじんじゃ)」と名づけたということである。

 最近になって、この赤津神社は、農業で使う土地を整理(せいり)するために、少し場所をうつされました。その時、村の人々は、「石のわび証文が出てくるのではないか。」と、胸(むね)をわくわくさせながらほってみましたが、わび証文も石の箱も、とうとう出ては来なかったそうです。
「きっと神様が、だれにも知られない、開かずの部屋におうつしになったのだ。」
 人々は、そう思ったということでした。

資料・他(しりょう・ほか)

『福島の伝説』 福島県国語教育研究会編集

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