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伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

賢沼と龍門寺の井戸(かしこぬまとりゅうもんじのいど)

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紹介説明(しょうかいせつめい)

 沼之内(ぬまのうち)に弁天様(べんてんさま)として親しまれている密蔵院賢沼寺(みつぞういんけんしょうじ)があります。昔、修行(しゅぎょう)をして地方を回っていた徳一大師(とくいつだいし)というお坊(ぼう)さんが開いたといわれています。
 その寺には、徳一大師が千日(せんにち)の水ごり【神仏(しんぶつ)に願いごとをするとき、冷たい水をあびて心と体のけがれを取ること】をとったといわれている賢沼(かしこぬま)があります。そこには、昔たくさんのカモがすんでいました。あるとき、一人の猟師(りょうし)が沼で遊んでいるカモを鉄ぽうでうちました。弾(たま)は見事にカモに命中(めいちゅう)したのですが、なかなか岸辺(きしべ)によってきません。あせった猟師が、泳いで取ってこようと、沼にとびました。ところがどうでしょう。いくら手足を動かして泳ごうとしても、水が体にベタベタとはりついて、少しも身動きができません。おそれおののきながら、猟師はようやく岸にはい上がることができました。
 こんなことがあってから、だれが言い出したのかわかりませんが、沼の生き物を取ると、沼の主のたたりがあるといううわさが広がりました。それ以来、カモはもちろん、魚を取る人もいなくなったといいます。そのため、ウナギもコイも現在のように大きくなったのだといわれています。
 また、この沼は龍門寺(りゅうもんじ)の井戸とつながっているのだという、次のようなふしぎな話も伝わっています。

 昔、飯野村荒川(いいのむらあらかわ)【いわき市平下荒川(たいらしもあらかわ)】の龍門寺(りゅうもんじ)に、一人の位の高いお坊さんがいました。苦しい修行(しゅぎょう)を積んだ、大変徳(とく)の高い真っ白なあごひげを、胸元(むなもと)あたりまでたらしていました。すずしげに澄(す)んだ目をして、どんなに悪いことをした人でも、このお坊さんのほほえみを見ると自然に頭が下がってしまうようなお方でした。
 しかし、どんなにえらいお坊さんでも、やはり人間には欠点(けってん)の一つや二つはあるものなのでしょう。そのお坊さんにも、たった一つの悪いところがありました。それは、このお坊さんは碁(ご)を打つことが大好きで、碁を始めると、ついそれに夢中(むちゅう)になり、自分の仕事や修行をわすれてしまうことでした。
 寺の近所の檀家(だんか)に、善七(ぜんしち)さんという人がいました。この人も大変碁が好きだったので、ひまさえあれば寺にやってきて、お坊さんを相手に碁を打つのを何よりの楽しみにしていました。そして、二人とも相当な腕前(うでまえ)だったので、なかなか勝負がつきません。そんな時、お坊さんは、
「これではいけない。こんなに碁に夢中になっては、仏道(ぶつどう)のじゃまになる。明日からはやめよう。」と反省(はんせい)するのですが、やはり碁が好きで、善七さんがたずねてくると、つい碁盤(ごばん)を持ち出してしまうのでした。
 それは、雪のふった、ある寒い寒い日のことでした。お坊さんは、雪見がてらたずねてきた善七さんと、いつものように碁を打ちはじめました。ところがどうしたことか、その日にかぎってお坊さんは一回も勝てませんでした。負けが続くので、今度こそは、とまた始めるのですがやっぱり勝てません。そうして終わったときは、夜中の十二時をすぎてしまっていた。善七さんは、久しぶりの連勝(れんしょう)に気を良くしながら、
「今日は、本当によい雪見だったわい。こんなによい気持ちになったのは初めてだのう。」と言いながら、得意そうに帰っていきました。うれしそうに帰っていく善七さんの後ろすがたを見送っていると、お坊さんの心の中は善七さんに対するくやしさやにくしみで、いっぱいになってくるのでした。
 次の朝、お坊さんはまだ暗いうちに目を覚ましました。夕べは、ふとんに入ってもなかなか寝(ね)つかれなかったせいか、頭の中がかすみがかかったようにぼんやりとしていました。しかし、いつものように本堂(ほんどう)に入り、冷たいざぶとんにきちんとすわって仏さまの顔を見つめていると、身も心もすっきりしてくるのでした。そしてそのうち、
「ああ、夕べはわるかったなあ。碁で負けたからといって善七さんをにくむなんて。きっと、わしの心にあくまが入りこんだのだ。」と、反省し、いつもより大きな声でくり返しお経を読んでいました。
 お坊さんは、おいのりが終わると、水をくむために下駄(げた)をはいて、寺の外にある古い井戸に出かけていきました。外はやっと明るくなったばかりで、風は身を切るような冷たさでした。雪はやんでいましたが、井戸の周りはカチカチにこおりついていました。水をくもうとしたお坊さんが、つるべのなわをつかんだまま、ふと頭を上げると、きのうの夜おそく帰っていった善七さんの足あとが、雪の表面にまだくっきりと付いているのが、目に入りました。それを見つめているお坊さんの頭の中に、うれしそうに帰っていった善七さんのすがたがうかんできて、また、きのうのくやしさがムラムラと心の中にわき上がってきました。そして、
「よし、今日はこちらから出かけて行って、善七さんを負かしてやろう。」と思って、にぎっているなわに力を入れて引こうとしたとたん、足をすべらせたお坊さんはなわをにぎったまま、深い深い井戸に落ちこんでしまいました。しばらくして、ドブーンというにぶい音が井戸の上までひびいてきましたが、あとは何の音も聞こえてきませんでした。時々ふいてくる強い北風が、神社のこな雪をまき上げるようにして、通りすぎていくだけでした。
 お坊さんは、自分の体がせまいところから広いところに、はじき出されたような気がしていました。水が温かく、あたりも明るくて広々としていました。ふしぎなことに自分の周りでは、大きなウナギやコイがさかんに泳ぎまわっています。
「変だな。自分はたしかに井戸に落ちたはずだったのに、いつの間にこんなところに来たのだろう。」と、あたりをキョロキョロ見わたしました。するとそのとき、一瞬(いっしゅん)目もくらむほどの光がさしたかと思うと、目の前に美しい弁天様(べんてんさま)が立っておられました。弁天様はしばらくお坊さんを見つめておられましたが、しだいに悲しそうなお顔になり、
「お前は、人をにくむという悪い心が起きたから、井戸に落ちたのです。しかし、生きていた時の徳(とく)によって、お前の体を白へびにかえ、この沼にすむようにしてやったのです。」と、おっしゃりました。気がついてみると、なるほど、自分はへびになっていました。

 その後、お坊さんは白へびのすがたのまま弁天様に仕えながら、龍門寺(りゅうもんじ)の井戸と賢沼の間を、行ったり来たりしているのだといわれています。

資料・他(しりょう・ほか)

『福島の伝説』 福島県国語教育研究会編集

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<現地までの交通案内>
賢沼
・常磐自動車道「いわき中央IC」より約30分
龍門寺
・常磐自動車道「いわき中央IC」より約20分

その他(そのほか)

関連ホームページ(かんれんホームページ)

ムービー

賢沼と龍門寺の井戸

賢沼と龍門寺の井戸

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