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文化・芸術・福祉・慈善事業・教育(ぶんか・げいじゅつ・ふくし・じぜんじぎょう・きょういく)

熊阪覇陵(くまさかはりょう)

伊達市(だてし)

1709〜1764

江戸時代(えどじだい)〜江戸時代(えどじだい)

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人物紹介(じんぶつしょうかい)

 覇陵(はりょう)は中村【現在の伊達市保原町】の大商人の家の長男として生まれました。享保(きょうほう)年間、結婚(けっこん)と同時に高子村(たかこむら)【現在の伊達市保原町】へうつり住みました。
 覇陵は江戸時代の中頃に名勝(めいしょう)「高子二十境(たかこにじゅっきょう)」をつくり、それぞれの場所を漢詩(かんし)によんだだけでなく、全国から「二十境」の漢詩を募集(ぼしゅう)し、多くの知識人(ちしきじん)から漢詩を集めました。また自宅に私塾(しじゅく)「白雲館(はくうんかん)」をつくり、郡内の子弟の教育(きょういく)にあたりました。
 覇陵はまずしい人たちには惜しげなく恵みを与える思いやりのある人物でした。人々は感謝(かんしゃ)の気持ちを込めて、各地に「熊坂神(くまさかじん)」の石碑(せきひ)を建てました。子の台州(たいしゅう)、孫の盤谷(ばんこく)も立派(りっぱ)な漢学者(かんがくしゃ)・儒学(じゅがく)に育ち、江戸と福島地方との文化交流に大きく貢献(こうけん)しました。

資料・他(しりょう・ほか)

『永慕編』 天明8年
『永慕後編』 享和4年
『名勝高子二十境調査報告書』 平成12年3月
『保原町史』 昭和56〜64年

主な業績(おもなぎょうせき)

 『高子二十境』は多くのすぐれた漢詩とともに谷文晁(たにぶんちょう)の『ニ十境図(にじゅっきょうず)』ものこり、当時の風景が今ものこされている。漢詩は現代文に訳(やく)すと小中学生にもわかる内容で、学校での創作(そうさく)活動への活用に期待される作品です。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

高子二十境地名としても残っています。
熊坂家墓碑
(ぼひ)
名高い書道家によって熊坂氏の業績がきざまれています。
熊坂神碑幕末(ばくまつ)に立てられたものが三ヶ所に残っています。

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

保原歴史文化資料館

関連HPへ(かんれんホームページへ)

伊達市のHP

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