

郷土開発(きょうどかいはつ)
渡邊閑哉(わたなべかんさい)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
二本松市(にほんまつし)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
1799~1873時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
渡邊閑哉(わたなべかんさい)は、旧岩代町で1799年に生まれました。小さいころから学問が好きで、いろいろな学問を学びました。閑哉は、後に布沢村(ぬのざわむら)や鈴石村(すずいしむら)の名主(なぬし)【村長】になりました。
まずしくて困っている村をよくするために、あれ地には馬鈴薯(ばれいしょ)【ジャガイモの別名】を作らせ、洪水(こうずい)をふせぐため川に竹を植えさせるなどして開墾(かいこん)をすすめ、りっぱな村にしました。
閑哉は、その後、安積三原(あさかさんばら)の開拓(かいたく)をとなえて運動をおこなったり、地理や水利(すいり)を調べて水路(すいろ)の計画をたてたりしました。
1873年8月に安積疏水(あさかそすい)の許可(きょか)を見ないまま亡くなりました。その2ヶ月後の10月に開墾の許可がおり、安積疏水の工事が始まりました。
資料・他(しりょう・ほか)
『わたしたちの町いわしろ』 岩代町教育委員会『わたくしたちの郷土-安達』安達管内小学校長会編
昭和41年 福島県安達管内小学校長会
『小浜町郷土読本』 平島郡三郎著
『岩代町史』 岩代町
『小浜小学校沿革史』
『安積疏水の歴史』
主な業績(おもなぎょうせき)
- 19歳のとき
布沢村の名主をまかされ、まずしい村を3,4年でたてなおしました。 - 1849年
鈴石村の名主をまかされ、村の借金を5,6年で返し、鈴石村をすくいました。 - 1858年
洪水(こうずい)の被害(ひがい)をおさえるために鹿児島県から苗をとりよせて、台明竹(だいみょうだけ)をうえさせました。同じころ須賀川の馬れいしょをとりよせて村全体につくらせました。 - 1870年
今泉一三郎とともに安積三原の実地調査(じっちちょうさ)をして、建白書(けんぱくしょ)を提出しました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
閑哉がすすめた馬鈴薯を、今でも閑哉芋(かんさいいも)【かんぷら芋】とよび、閑哉が川岸をまもるために植えた竹を閑哉竹(かんさいちく)とよんでいます。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 閑哉の頌徳碑(しょうとくひ)
- 閑哉の墓(はか)
- 閑哉が使ったといわれる井戸
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 二本松市教育委員会
電話:0243-23-1111
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
閑哉の頌徳碑下長折(しもながおり)諏訪神社(すわじんじゃ)の鳥居の横にあります。
住所:二本松市下長折字除(のぞき)
「二本松IC」から車で約20分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。