文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
横山丁々(よこやまていてい)
地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
新地町(しんちまち)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1892~1941時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
盛岡高等農林学校【現在の岩手大学農学部】を卒業しました。
社会人となり間もなく、病気のため両足が麻痺(まひ)してしまい、故郷(こきょう)に帰り、俳人(はいじん)高浜虚子(たかはまきょし)の指導(しどう)のもとで俳句をつくり、高浜虚子が中心となって発行していた『ほととぎす』に俳句を発表して名声(めいせい)を高めました。
また、みずから、俳句雑誌(はいくざっし)『野ぶどう』を発行し、東北から関東地方の俳人たちを育てました。下半身(かはんしん)麻痺にめげず、俳句に生きるよろこびをもとめ、俳句ひとすじに生きた生涯(しょうがい)でした。
資料・他(しりょう・ほか)
『ほととぎす』俳句雑誌『野ぶどう』俳句雑誌
「福島民報新聞」
主な業績(おもなぎょうせき)
- 東京毎日新聞社主催の日本百景(ひゃっけい)の俳句の募集(ぼしゅう)に松川浦を題材(だいざい)によんだ俳句が入選し、松川浦に句碑(くひ)が建てられました。
- 俳句雑誌『野ぶどう』をつくり、東北から関東地方の俳人を育てました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
郷土に俳句をつくるグループが生まれ、近くの市町村に活動が広がりました。現在も新地町に「野ぶどう句会」という組織があり、句会をおこなっています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 句碑
昭和初期、友人や句友が横山丁々の俳句をたたえてたてました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 新地町教育委員会
電話:0244-62-4477 住所:〒979-2792 新地町谷地小屋字樋掛田30 メールアドレス:kyoiku@town.shinchi.lg.jp
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
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