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文化財(ぶんかざい)

新地貝塚附手長明神社跡(しんちかいづかつけたりてながみょうじんしゃあと)

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紹介説明(しょうかいせつめい)

 新地貝塚附手長明神社跡(しんちかいづかつけたりてながみょうじんしゃあと)は、新地町小川地区(おがわちく)にのこる貝塚(かいづか)です。仙台藩(せんだいはん)の佐久間義和(さくまよしかず)が書いた『奥羽観跡聞老志(おううかんせきもんろうし)』という本の中で、「鹿狼山(かろうさん)に住む手長明神(てながみょうじん)が海まで手をのばして貝(かい)をとり、貝がらを捨てたからここに貝塚ができた」というお話が紹介(しょうかい)され、古くから、ここに貝塚があることが知られていました。その手長明神をまつった神社も、新地貝塚の西がわに残っています。
 その後、明治23(1890)年、大正13(1924)年に発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、今から4,000年から3,000年前の縄文時代後期から晩期(ばんき)の貝塚であることがわかりました。大正13年に行われた調査で、表面にねんどのつぶをつけてこぶのようになっためずらしい土器(どき)が見つかりました。この土器は新地の名前をつけて、新地式土器(しんちしきどき)とよばれています。

資料・他(しりょう・ほか)

『福島県の貝塚』 福島県教育委員会編集・発行
『新地町史資料編』
 新地町史編さん委員会編集・新地町教育委員会発行
『新地町史歴史編』
 新地町史編さん委員会編集・新地町教育委員会発行
『新地貝塚保存管理計画書』 新地町教育委員会編集・発行
『新地町の文化財ご案内』 新地町教育委員会編集・発行
ほか、多数

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<詳しい情報の入手先>
・新地町教育委員会 電話:0244-62-4477
・東京大学総合研究博物館

<直接現地へ行くまでの交通案内>
・福島県立新地高等学校すぐ東

その他(そのほか)

国指定史跡(昭和5年指定)

関連ホームページ(かんれんホームページ)

ムービー

新地貝塚附手長明神社跡

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