

政治(せいじ)
目黒重真(めぐろじゅうしん)
地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
新地町(しんちまち)カテゴリー:
政治(せいじ)生没年:
1828~1901時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
明治5年、宮城県・福島県でもっとも早い共立学校(きょうがっこう)「観海堂(かんかいどう)」の設立(せつりつ)にたずさわり、中心的役割(ちゅうしんてきやくわり)をはたしました。
当時、宇多(うだ)、亘理(わたり)【現在の相馬郡・宮城県亘理】郡長助役(ぐんちょうじょやく)でしたが、「これからの新しい時代にあたり、もっとも教育が大事になる」と考え、仲間たちと一緒に小学校の設立を宮城県に願い出て、みとめられました。
その後、河野広中(こうのひろなか)らと自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)や国会開設(こっかいかいせつ)運動などにとりくみ、生涯(しょうがい)を通し郷里(きょうり)の発展と教育の充実(じゅうじつ)に力をつくしました。
資料・他(しりょう・ほか)
『観海堂』パンフレット 新地町教育委員会編集・発行『民権家列伝』 高橋哲雄著 福島民報社発行
『無明館報』 福島自由党発行
『わたしたちのまち新地』
わたしたちのまち新地編集委員編集 新地町教育委員会発行
『福島自由新聞』 福島自由党発行
『東北庶民の記録』 日本放送出版協会発行
『日本のふるさと』 あすなろ社発行
主な業績(おもなぎょうせき)
- 共立学校「館海堂」の設立にたずさわりました。
- 福田村会議員・福島県会議員・福島県会議長をつとめました。
- 自由民権運動にとりくみました。福島自由新聞発刊発起(ほっき)人。
- 村民生活の向上、公共施設の整備、教育の発展に力をつくしました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 新地町教育委員会
電話:0244-62-4477 住所:〒979-2792 新地町谷地小屋字樋掛田30 メールアドレス:kyoiku@town.shinchi.lg.jp
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 観海堂
JR常磐線「新地駅」より徒歩5分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 氏家 晋(号 閑存)(うじいえすすむ(かんそん))
- くるめがすりの家(くるめがすりのいえ)
- 新地貝塚附手長明神社跡(しんちかいづかつけたりてながみょうじんしゃあと)
- 目黒重真(めぐろじゅうしん)
- 鹿狼山(かろうさん)
- 高野孟矩(たかのたけのり)
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