郷土開発(きょうどかいはつ)
弓田円蔵(ゆみたえんぞう)
地域(ちいき):
南会津地域(みなみあいづちいき)市町村(しちょうそん):
下郷町(しもごうまち)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
1814~1884時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
弓田円蔵(ゆみたえんぞう)は、1814年に下郷町の呉服商(ごふくしょう)の家に生まれました。現在国道121号線が通り、山ぞいに水田が広がる下郷町の倉村(くらむら)、楢原(ならはら)地区は、円蔵の若いころはカヤなどが茂(しげ)る荒地(あれち)で米はあまりとれず、畑で麦やあわ、ひえ、そばなどを作っていました。この人々の生活を見て円蔵は、何とか荒地に水を引き田を作りたいと考え、村の人々と相談を重ね、役所にも足を運びました。
水路を作るには、多くの費用(ひよう)がかかりますが、円蔵はこの工事費2500両【今のお金で1億1250万円】を自分の財産(ざいさん)から出し、村の相談をまとめ、1863年に工事にとりかかりました。大雨で水路がこわれたり、固い岩をほり進めたりの苦労の末、21年の歳月(さいげつ)をかけてせきが完成しました。
村の人々は荒地を切り開き、60ヘクタールもの田が豊かに村をかこむようになりました。
資料・他(しりょう・ほか)
『わたしたちのきょう土』 小学校第3,4学年社会科学習資料『下郷町史資料集 第7集 円蔵堰(えんぞうぜき)』
主な業績(おもなぎょうせき)
- 1862年
円蔵を中心にせき作りの計画が話し合われました。 - 1863年
せき作りの工事が着工しました。 - 1866年
大水でせきがこわれました。 - 1870年
せきを深く、強化する工事が始まりました。 - 1883年
円蔵堰が完成しました。 - 1884年
完成を見届け亡くなりました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
- 円蔵堰の完成によって、水田がつくられ農民の生活がゆたかになりました。
- 村の神社の境内(けいだい)には、円蔵の功績をたたえる石碑がたてられました。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
石碑(せきひ)副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
下郷町 町史編纂(へんさん)室現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。