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産業・経済(さんぎょう・けいざい)

田沼文蔵(たぬまぶんぞう)

  • 地域(ちいき)

    南会津地域(みなみあいづちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    下郷町(しもごうまち)
  • カテゴリー:

    産業・経済(さんぎょう・けいざい)
  • 生没年:

    1918~2000
  • 時代:

    大正(たいしょう)~平成(へいせい)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

田沼文蔵(たぬまぶんぞう)は大正7(1918)年、下郷町に生まれました。23歳の学生の時に、太平洋戦争(たいへいようせんそう)のために陸軍(りくぐん)に召集(しょうしゅう)されました。約5年におよぶ戦争経験(せんそうけいけん)の間、戦いのために文蔵は多くの部下(ぶか)を亡くしました。
 無事に生きて帰ることができた文蔵は、亡くなった部下のためにも社会に役立つ仕事をしたいと考え、大学卒業後、慶応義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく)学生寮(りょう)の食事をひき受けました。戦後の食糧難(しょうりょうなん)で自分自身の食糧調達(ちょうたつ)もままならないなか、戦後の日本を背負うこととなる学生のために、食事をあたえ続けました。
 食をとおして社会の役に立ちたいという信念(しんねん)から、文蔵は「グリーンハウス」という会社をつくり、給食やレストランなどの分野(ぶんや)で大きく活躍(かつやく)しました。また、文蔵は郷土発展(きょうどはってん)のため、母校である江川小学校大内分校にパソコン機材(きざい)を寄贈(きぞう)したほか、下郷町に一億円の寄付をしました。

資料・他(しりょう・ほか)

『学生食堂から外食産業へ グリーンハウス会長田沼文蔵伝』
 田中奈保美著 日経BP社

主な業績(おもなぎょうせき)

    のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

    • 戦後の外食産業の基礎をつくりあげました。

    関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

    副読本(ふくどくほん)

    関連文献(かんれんぶんけん)

    詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

    現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

    その他(そのほか)

    教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

    下郷町
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