

産業・経済(さんぎょう・けいざい)
田沼文蔵(たぬまぶんぞう)

地域(ちいき):
南会津地域(みなみあいづちいき)市町村(しちょうそん):
下郷町(しもごうまち)カテゴリー:
産業・経済(さんぎょう・けいざい)生没年:
1918~2000時代:
大正(たいしょう)~平成(へいせい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
田沼文蔵(たなかぶんぞう)は大正7(1918)年、下郷町に生まれました。23歳の学生の時に、太平洋戦争(たいへいようせんそう)のために陸軍(りくぐん)に召集(しょうしゅう)されました。約5年におよぶ戦争経験(せんそうけいけん)の間、戦いのために文蔵は多くの部下(ぶか)を亡くしました。
無事に生きて帰ることができた文蔵は、亡くなった部下のためにも社会に役立つ仕事をしたいと考え、大学卒業後、慶応義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく)学生寮(りょう)の食事をひき受けました。戦後の食糧難(しょうりょうなん)で自分自身の食糧調達(ちょうたつ)もままならないなか、戦後の日本を背負うこととなる学生のために、食事をあたえ続けました。
食をとおして社会の役に立ちたいという信念(しんねん)から、文蔵は「グリーンハウス」という会社をつくり、給食やレストランなどの分野(ぶんや)で大きく活躍(かつやく)しました。また、文蔵は郷土発展(きょうどはってん)のため、母校である江川小学校大内分校にパソコン機材(きざい)を寄贈(きぞう)したほか、下郷町に一億円の寄付をしました。
資料・他(しりょう・ほか)
『学生食堂から外食産業へ グリーンハウス会長田沼文蔵伝』田中奈保美著 日経BP社
主な業績(おもなぎょうせき)
- 昭和22年4月
慶應義塾大学予科食堂を経営しました。 - 昭和29年4月
有限会社グリーンハウスをつくりました。 - 昭和34年2月
株式会社グリーンハウスに組織をあらためました。 - 昭和52年11月
藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受賞しました。 - 昭和59年11月
農林水産大臣賞を受賞しました。 - 昭和63年5月
勲四等(くんよんとう)旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)を受賞しました。 - 平成4年9月
紺綬褒章(こんじゅほうしょう)受賞、下郷町名誉(めいよ)町民となりました。 - 平成10年4月
銀杯(ぎんぱい)を受賞しました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
- 戦後の外食産業の基礎をつくりあげました。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
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