

その他(そのほか)
宗像金吾(むなかたきんご)

地域(ちいき):
県中地域(けんちゅうちいき)市町村(しちょうそん):
平田村(ひらたむら)カテゴリー:
その他(そのほか)生没年:
1878~1943時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
金吾(きんご)は神戸(こうべ)の鈴木商店で働き、台湾(たいわん)、大連(だいれん)、長春(ちょうしゅん)の支店長をつとめた後、独立(どくりつ)して成発東(せいはつとう)という貿易商社(ぼうえきしょうしゃ)をつくりました。これが当時の日本軍閥(ぐんばつ)の満州(まんしゅう)【現中国東北部】開発の波にのり、ばくだいな利益を手にすることになりました。
この成功(せいこう)により、自分の財産(ざいさん)をつかい故郷(こきょう)である永田地区とその周辺の整備(せいび)を始めました。
医者のいなかった同地区に医師(いし)をまねき、暖房設備(だんぼうせつび)があり入院のできる病院を建設(けんせつ)しました。
また永田地区は、多くの川が集まる場所であったため、水害(すいがい)により何度も橋が流されたことから、道路を整備し、コンクリート橋を数多くつくりました。
他にも神社や郵便局(ゆうびんきょく)の建設など地域開発(ちいきかいはつ)に貢献(こうけん)しました。
資料・他(しりょう・ほか)
『わたしたちの平田村』小学校副読本『平田村史』「別巻 人物年表遍」
主な業績(おもなぎょうせき)
私財をつかった病院建設、道路整備、橋梁(きょうりょう)建設、郵便局建設・開局、綿羊(めんよう)農場経営の援助など地域開発に大きく貢献しました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
金吾のはたらきにより、永田地区は現在も村行政の中心地となっています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 旧宗像病院跡
金吾がたてた病院です。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
平田村中央公民館現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 駒形ジャンガラ念仏踊り(こまがたじゃんがらねんぶつおどり)
- 凍大根とにしんのはさみ煮(しみだいこんとにしんのはさみに)
- 山鶏滝(やまどりだき)
- 凍大根のこぶ巻き(しみだいこんのこぶまき)
- 宗像金吾(むなかたきんご)
- 棚辺四郎(たなべしろう)
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