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教育(きょういく)

無為庵如黙(むいあんじょもく)

  • 地域(ちいき)

    会津地域(あいづちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    磐梯町(ばんだいまち)
  • カテゴリー:

    教育(きょういく)
  • 生没年:

    1627~1691
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~江戸時代(えどじだい)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 無為庵如黙(むいあんじょもく)は、1627年に九州肥前(きゅうしゅうびぜん)の国【現在の佐賀県と長崎県】で生まれました。17歳のとき両親と死別(しべつ)した後、京都で学問をおさめました。30歳のときに仏門(ぶつもん)に入り、その後は修行(しゅぎょう)のため全国を旅して回りました。
 1657年、会津をおとずれた時に会津藩の学者であった横田俊益(よこたとします)と出会い、その豊富(ほうふ)な知識(ちしき)と才能(さいのう)に感心した俊益に帰るのを引き止められ、磐梯町落合の小庵(しょうあん)「無為庵(むいあん)」で数年を過ごしました。
 1664年、地方の学問の発展(はってん)のために民間(みんかん)の学問所をつくろうという俊益らの働(はたら)きにより、現在の会津若松市に「稽古堂(けいこどう)」が完成しました。如黙はその堂主(どうしゅ)としてむかえられ、以後20年間にわたり民間の教育に大きく貢献(こうけん)しました。

資料・他(しりょう・ほか)

『平成15年度磐梯山慧日寺資料館企画展
 「歴史をつむいだ人々-磐梯町人物小伝-」展示解説図録』
『郷土研究岩磐史談 第一巻・復刻版』 昭和57年 歴史春秋社

主な業績(おもなぎょうせき)

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

 稽古堂は、その後藩士教育の場である「町講所(まちこうしょ)」とあらためられ、開学の精神(せいしん)であった私学としての位置(いち)付けはうしなわれることになりますが、その後の藩校「日新館」の設立に大きな影響をあたえたました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

  • 顕彰碑 (けんしょうひ)
    昭和3年、晩年を過ごした喜多方市真木地区の人々によってたてられました。

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

  • 磐梯町教育委員会
    電話:0242-73-2017
  • 磐梯山慧日寺(えにちじ) 資料館
    電話:0242-73-3000

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

  • 磐梯山慧日寺資料館
    磐越自動車道「磐梯河東IC」より県道7号を磐梯町方面へ車で3km

その他(そのほか)

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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