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郷土開発(きょうどかいはつ)

中條政恒(なかじょうまさつね)

  • 地域(ちいき)

    県中地域(けんちゅうちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    郡山市(こおりやまし)
  • カテゴリー:

    郷土開発(きょうどかいはつ)
  • 生没年:

    1841~1900
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

旧米沢藩士(きゅうよねざわはんし)であった中條政恒(なかじょうまさつね)は、明治5(1872)年9月に福島県権令(ごんれい)【地方長官(10月から県令)】の安場保和(やすばやすかず)から典事(てんじ)【課長職】に任命(にんめい)されました。そして、明治政府(めいじせいふ)が計画(けいかく)していた士族授産(しぞくじゅさん)【職を失った士族(しぞく)の救済(きゅうさい)のためにとられた政策(せいさく)】や殖産興業(しょくさんこうぎょう)【生産をふやし、産業を盛んにすること】の政策(せいさく)を福島県内で行うため、作物や草木が育たない土地であった郡山の大槻原(おおつきはら)【開成山一帯(かいせいざんいったい)】の開拓(かいたく)を計画しました。これを進めるため、明治6(1873)年に中條は、旧二本松藩(きゅうにほんまつはん)の士族の家庭19戸に大槻原へうつり住んでもらいました。また、郡山の商人にも、開拓への協力をお願いして、開成社(かいせいしゃ)【開拓(かいたく)の会社】を作ってもらいました。
 さらに中條は、明治政府の内務卿(ないむきょう)の大久保利通(おおくぼとしみち)と明治9(1875)年6月に会見し、政府が士族授産を積極的(せっきょくてき)に進めることや、猪苗代湖(いなわしろこ)の水を郡山地域(ちいき)に引くことなどをお願いしました。
 その後、これらは政府により行われ、郡山の発展(はってん)の基礎(きそ)となったため、中條は「安積開拓(あさかかいたく)の父」ともよばれています。
 小説家(しょうせつか)宮本百合子(みやもとゆりこ)の祖父(そふ)でもあります。

資料・他(しりょう・ほか)

『郡山の歴史-郡山商工会議所青年部五周年記念誌-』
 郡山商工会議所青年部 1990年4月26日発行
『えほん風土記こおりやま』 社団法人郡山青年会議所 1981年刊
『郡山おもしろBOOK』 社団法人郡山青年会議所 1992年刊
『先人の夢に逢う-安積開拓120年記念-』 郡山市 1997年刊

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 県の役人として安積開拓の第一歩といえる「大槻原開拓」を進めるとともに、郡山の商人にも開拓の協力を呼びかけて「開成社(かいせいしゃ)」をつくってもらいました。
  • 国営の五百戸移住や安積疏水の開さくの願いを、大久保利通(おおくぼとしみち)につよくはたらきかけて、これらの事業を推進させました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

郡山市や周辺市町村【須賀川、長沼、本宮、猪苗代、岩瀬、大玉】にめぐみの水をもたらすこととなり、これらの地域の農業をはじめとする各種産業の発展に貢献しました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

    副読本(ふくどくほん)

    関連文献(かんれんぶんけん)

      詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

      • 郡山市中央図書館
        住所:郡山市麓山(はやま)一丁目5番25号 電話:024-923-6601

      現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

        その他(そのほか)

        教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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