文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
高野廣八(たかのひろはち)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
福島市(ふくしまし)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1820~1896時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
勝海舟(かつかいしゅう)らが咸臨丸(かんりんまる)に乗り太平洋をはじめて横断(おうだん)したわずか6年後の慶応(けいおう)2(1866)年、東北の一山村から出た高野廣八(たかのひろはち)が、17名の曲芸師(きょくげいし)をつれて、はじめて日本の曲芸団として約3年間にわたり欧米諸国(おうべいしょこく)を回ったときの見聞録(けんぶんろく)『廣八日記』があります。
この『廣八日記』は、単に各地を回った記録(きろく)だけでなく、当時の日本と欧米諸国との生活や文化のちがい、欧米諸国のようすを知ることができる貴重(きちょう)な史料です。また、欧米諸国で数回にわたり日本人一行(いっこう)に出会ったことが書かれています。そこから、当時かなりの日本人が海外にわたり、新しい文明にふれていたと考えられます。
資料・他(しりょう・ほか)
『海を渡った幕末の曲芸団』中公新書 宮永孝 法政大学教授著
『見世物は面白い』別冊太陽 日本の心 No123 平凡社
(海を渡った日本の見世物 三原文)
『廣八日記』飯野町史談会 飯野町史編纂(へんさん)室にあり
その他 論文多数
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
日本国民に世界の文化、芸術などを紹介し広めました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 墓(はか)
大桂寺 (飯野町大字大久保字普門地内)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
飯野町史編纂室現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 大柱寺
JRバス「大久保北町」停留所下車徒歩5分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
- 男沼と水芭蕉(おぬまとみずばしょう)
- 渡利水辺の楽校(わたりみずべのがっこう)
- 和台遺跡(わだいいせき)
- 高野廣八(たかのひろはち)
- 鈴木俊夫(すずきとしお)
- 千貫森と天井山からの眺め(せんがんもりとてんじょうやまからのながめ)
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