

政治(せいじ)
相馬忠胤(そうまただたね)
地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
相馬市(そうまし)カテゴリー:
政治(せいじ)生没年:
1636~1673時代:
江戸時代(えどじだい)~江戸時代(えどじだい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
第3代中村藩主(はんしゅ)で、当時の十善人(じゅうぜんにん)の一人です。十善人に数えられた人は、水戸光圀(みとみつくに)、保科正之(ほしなまさゆき)、久世広之(くぜひろゆき)などです。忠胤(ただたね)は、第2代藩主義胤(よしたね)が、33歳で突然(とつぜん)亡くなったため、上総国(かずさのくに)久留里藩(くるりはん)から養子(ようし)としてむかえられました。忠胤の業績(ぎょうせき)の主なものは、明暦(めいれき)の大検地(だいけんち)、学問所として長松寺(ちょうしょうじ)を設置(せっち)したことなどがあげられます。
資料・他(しりょう・ほか)
『相馬市史 第1巻』主な業績(おもなぎょうせき)
- 明暦の検地をおこないました。
- 会所をつくりました。
- 長松寺をつくりました。
- 殉死(じゅんし)を禁止しました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 相馬市歴史資料収蔵館
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
相馬市歴史資料収蔵館現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)


- 佐藤玄々(さとうげんげん)
- 南柚木の神楽舞(みなみゆぬきのかぐらまい)
- 大悲山の石仏(たいひざんのせきぶつ)
- 旧武山家住宅(きゅうたけやまけじゅうたく)
- 島尾敏雄(しまおとしお)
- 加藤楸邨(かとうしゅうそん)
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