

福祉・慈善事業(ふくし・じぜんじぎょう)
鈴木信教(すずきしんきょう)
地域(ちいき):
県中地域(けんちゅうちいき)市町村(しちょうそん):
郡山市(こおりやまし)カテゴリー:
福祉・慈善事業(ふくし・じぜんじぎょう)生没年:
1843~1892時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
天保(てんぽう)14(1843)年、山形県の農家に生まれた鈴木信教(すずきしんきょう)は、7才の時に故郷(こきょう)をはなれ、安達郡にある真言宗(しんごんしゅう)の相応寺(そうおうじ)で生活しました。13才から10年間は、京都の智積院(ちしゃくいん)で修行(しゅぎょう)しました。そして、22才で安達郡の東福寺(とうふくじ)の住職(じゅうしょく)となり、次に息王寺(そくおうじ)の住職となりました。
そのころ、戊辰戦争(ぼしんせんそう)で荒れ果てた郡山の如宝寺(にょほうじ)では、世話人(せわにん)が寺の再建(さいけん)を信教和尚(しんきょうおしょう)にお願いしようと相談(そうだん)していました。そして、信教和尚は、明治元(1868)年に如宝寺へ着任(ちゃくにん)しました。
当時の社会は、食料も満足になく、人々は生活に困っており、生まれたばかりの子どもを育てられない家庭も多くありました。そのため、信教和尚は、そうした子どもたちを寺で育てることにしました。信教和尚は亡くなるまで約200人の子どもたちを教育したり、「門前縞(もんぜんじま)」という織物(おりもの)を考えて人々に教えたりするなど、社会福祉(しゃかいふくし)の向上に貢献(こうけん)しました。
資料・他(しりょう・ほか)
『郡山おもしろBOOK』 社団法人郡山青年会議所1992年11月30日発行
『えほん風土記こおりやま』 社団法人郡山青年会議所 1981年刊
主な業績(おもなぎょうせき)
「子返し(こがえし)」、「間引き(まびき)」という悪い習慣から赤ちゃんをすくい、自分の収入をつかってわが子のように養育しました。子どもたちが成長すると、学業指導や就労援助も行っていました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
みちのくの良寛(りょうかん)様として、今もなお地域の人々にしたしまれています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 鈴木信教墓(はか)
住所:郡山市堂前町4番24号【如宝寺内】 電話:024-922-0607 ・県指定史跡
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 郡山市中央図書館
郡山市麓山(はやま)一丁目5番25号 電話:024-923-6601
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 如宝寺
JR「郡山駅」から徒歩約15分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 久米正雄(くめまさお)
- 海老根伝統手漉和紙(えびねでんとうてすきわし)
- 郡山布引「風の高原」(こおりやまぬのびき「かぜのこうげん」)
- 鹿島神宮ペグマタイト岩脈(かしまじんぐうぺぐまたいとがんみゃく)
- 柳橋の歌舞伎(やなぎはしのかぶき)
- 赤沼のおしどり(あかぬまのおしどり)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
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